歯科衛生士 2015年12月
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登場人物 筆者は1979年に大学を卒業後、歯周病を学ぶために他大学の研究室へ入局しました。その歯学部は医学部と連絡通路でつながれていて、入院病棟で動けない患者さんの口腔の痛みはもちろん、歯肉に症状の出る血液疾患の方の治療で往診依頼を受けることがありました。したがって、歯科医師として物心ついてすぐから、あたりまえのこととして歯科往診(当時)に携わっていました(図1)。 そして1984年6月、生まれ育った函館で歯科医院を開業しました。当時、歯科往診の依頼は数ヵ月に1件あるかないかで、今とは比較にならないほど少ない数でした。それでも、研究室時代と同じように歯科往診を普通のことと捉え、しかしまだ何もわからないので工夫だけをして出かけていました。そんな開業してまもなくの頃に、ある患者さんとの一生記憶に残る出会いがきっかけで、口から食べられることがいかにその人の全身に影響を与えるのか、さらにこれからの人生(余生)にまでもかかわる点で、口腔機能改善の効果には計りしれないものがあることを実際に教えられたのです。以来30年以上の間に、いろいろな患者さんと出会ってきました。 開業当時、小学生や中学生だった患者さんがお母さんやお父さんになって子どもを連れてくる一方で、何らかの障害によって通院できなくなる方もいらっしゃいます。このように、今まで元気に通院されていた方が虚弱や寝たきりで通院できなくなったとき、いったい誰が歯科医療を提供するのでしょうか。それは、その時まで患者さんを診てきた私たちだと思います。これが、私の歯科訪問診療に対する基本的なスタンスです。光銭裕二Yuji Kosen光銭歯科医院院長羽立幸子Sachiko Hadate光銭歯科医院主任歯科衛生士津谷友季子Yukiko Tsuya光銭歯科医院歯科衛生士図1 30年前に使っていた往診用タービン筆者が医局に在籍していた頃に使っていたもの。当時はこのように、ボンベのガス圧でタービンを回すタイプだったため、かなりの大きさがあった。しかし、機能はタービンとスリーウェイシリンジだけだった。樋ひ場ばさん(仮名)Case2の患者さん。レビー小体病を患っている。当初は通院されていたが、その後在宅での療養を余儀なくされ、現在は介護療養型病棟で生活している。詳細はP.84も参照。羽は立だてDH光銭歯科医院の主任歯科衛生士。卒後同院で勤務し始めて以来、20年以上光銭先生とともに訪問診療に出向いている。光こう銭せん先生光銭歯科医院院長。「動けないけれど、助けを必要としている患者さんのところへは、動ける自分たちが行くのはあたりまえ」という方針で、開業以来訪問診療を行っている。津つ谷やDH光銭歯科医院の歯科衛生士。同院での訪問診療のキャリアは20年目を迎え、羽立DHと同様ベテランである。小こ西にしさん(仮名)Case1の患者さん。函館おしま病院のホスピス病棟に入院されていた。容体が悪化しているにもかかわらず、大好物の豆大福を食べて、周囲を驚かせた。詳細はP.78も参照。海かい田ださん(仮名)Case1の患者さん。小西さんと同じく、函館おしま病院のホスピス病棟に入院されていた。大好きなサックスをもう一度吹こうと懸命に治療を受けた。詳細はP.81も参照。77歯科衛生士 December 2015 vol.39

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