態癖ー力のコントロールー
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200筒井照子●つついてるこ「態癖と力のコントロール」に至る道程筆者(筒井)自身が「態癖と力のコントロール」を手中に入れるまでには,長い道程があった.振り返ってみると,治るはずなのに治らない,セオリーどおりの処置をしても期待どおりの結果が出ない,という壁にぶつかって途方に暮れることがしばしばであったが,そこには(もちろん,技術の未熟さもあったであろうが)その当時,目を向けることのなかった態癖が隠れていたように思われる.筆者は,横田成三矯正歯科学教室で,「咬合の場」(The field of Occlusion)という概念を学び,「口唇が前歯部に及ぼす影響についての組織学的研究」1)で学位を取得し,1975年に開業している.すなわち,学びの初めから力のバランスに目を向けるように導かれていたと言える.その後,マルチブラケットを学んで手札は増えたが,依然としてうまく治らないケースがあった.下顎が回転してオープンバイトがひどくなってしまう症例や期待するように咬合挙上できない症例,あるいは片側の歯列弓が整わない症例,ヘッドギアで下顎が後下方に回転してしまう症例,同じ部位のブラケットが繰り返し外れる症例やワイヤーが変形して折れてしまう症例など,しばしば不確実な結果に悩まされた.1985年頃より,スプリント療法を導入したが,装着時には結果は出ても再発してしまう.開業当時(1975年)は,ナソロジーが一世を風靡していた時代で,不確実な結果は咬合に配慮が足らない結果だと考え,ナソロジーの咬合コースに熱心に通ったが,当時のナソロジーは,そうした問題をまったく解決してくれないどころか,筆者には理解のできないことばかりだった.筆者は咬合については,まったくの落ちこぼれだった.1980年頃にD. ガーリナー(DanielGarliner)2)やW. E. ジックフーズ(William E Zickfoose)の筋機能療法(MFT)は,大学での研究以来再び口腔周囲筋に目を向ける大きな助けになったのだが,それで解決できる問題はわずかだった.そのころ,夫のフルマウスの症例が増え,セントリックバイトを採って製作した修復物の咬合接触関係が口腔内に再現できないことに夫婦で悩むことがしばしばだった.後に,セントリックでのヒンジムーブメントを疑うことになる.そんな中で丸山剛郎の『臨床生理咬合』3)に出会って,限界運動をもって咀嚼を語ることの矛盾に目を開かされ,スプリントを用いた顎関節症の治療に光明を見出した.シロナソグラフによって機能運動が目に見えるものになった.しかし,顎関節症患者の治療に積極的に取り組めば取り組むほど,症状が再発するという不確実な臨床結果に悩ませられた.今.考えれば,そ

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