QDT 2017年2月
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125第2回 患者の笑顔が見える歯科技工を目指して ―ドイツの歯科技工とは?―グルクラウンを天然歯に合わせることは非常に難しい。時間も技量も問われることである。試行錯誤しながら夢中で働いていた時期が私にもあった。日本でよく聞いた、患者の「先生に任せます」という台詞がまだ記憶に新しい。ガイドラインのない一方通行の治療、歯科医師と歯科技工士の独断と偏見のオンパレードである。当時の優先権は歯科医師、私は言われたことを忠実に守りながら技工製作に入るがうまくいくはずもなかった。まだ、20代であった私は歯科技工に対し矛盾だらけの日々を過ごしていたのである。 渡独を決めるきっかけはドイツの歯科メーカーの海外研修ツアーに参加したことだ。日本にくらべ歯科技工士に対する職業的地位の高さ、設備環境の基準が高くあまりにも日本と違いすぎた。ドイツ歯科技工士マイスターになるためにドイツに渡る決意をした27歳の秋であった。●「言葉は武器だ」 渡独後、2人の重要人物との遭遇が私を大きく変えた。まず1人目は、ギュータースロという町にラボを構えるKlaus Müterthies氏である。彼の技術は素晴らしいが、さらなる上を行くのが彼を取り巻く環境である。歯科技工士という立場からの歯科メーカーとの間合い、歯科医師とのコミュニケーション能力や患者との距離感の素晴らしさ。私は6年間彼のもとで働かせていただいたが、すべて新鮮で衝撃的であった。そしてもう1人は、日本人初のドイツ歯科技工士マイスターの大畠一成氏(Dental Labor Gross)である。私はマイスター学校に入学する勇気を彼からいただいた。彼が背中を押していただいたおかげで現在の私がいる。 以前、日本で講演をさせていただいたときに私がつねに口にしていた言葉があると、私の親友は今でもそのことを口にする。それは「言葉は武器だ。コミュニケーション能力を少しでも上げるために語学を身につけろ。言葉で人を幸せにもできるし、逆に人を傷つけてもしまう」。基本的なことなのだがなかなか実行できている人は少ないであろう。すぐに身につくことでもないが、努力を積み重ねれば必ず道は拓けてくる。 私がドイツ歯科技工士マイスターの称号を手に入れたのが、13年前の2004年春。翌年に念願のラボをハンブルグ市内に構えることができた。当初から患者や歯科医師とのコミュニケーション型のスタイルは変わっていない。ただ、以前よりは格段にドイツ語が上達し理解できるようになった以外は。 現在、われわれのラボには患者がよく訪れる(図1)。歯科医師が患者をラボに送るシステムを築き上げたためだ。シェードを採るという重要な目的もこなすわけだが、歯科技工士側からの診療方針の説明を直接患者にするためだ。まずは患者と同じ目線で話を聞くことから始める。私の日本語訛りのドイツ語を何回も聞き返された時は非常に辛い、身体から冷や汗がでる。落ち着いて自信をもって臨機応変に対応していかなければならない。ゆっくりきちんと発音すること。私が理解できなければ、解ったふりはせずに何度も聞き返す。この繰り返しで、少しずつ患者が和んでいく。無口な患者は様子を見ながら突破口を探して行く。患者が子供であれば、当然ながら親がいっしょについてくる。図1a~c 筆者(大川)のラボの作業室(a)と、患者を招いてシェードマッチングや試適などを行うための部屋の様子(b、c)。QDT Vol.42/2017 February page 0327

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