デンタルアドクロニクル 2012
36/192

「学ぶ」ということの中には、根源的なことに思考を深めることがあるかと思えば、また、もっとプラグマティック(実利的)なものを求めることもある。 昨今の朝刊の日曜版などを見ていると、「秘書検定資格」から始まって、よくもまあこんなに資格試験があるものだと驚くばかりである。一見、みんな本当に現場で役に立ちそうな名称がずらりと並んでいる。「就職試験に勝ち抜く資格」「資格があなたの人生を切り開く」など、甘い文句がこれでもかといった具合である。 学ぶチャンスがあるということ自体は、けっしてとやかくいうようなことではないが、この種の資格が果たしてどれほどの意味があるのか、不信感が湧くとともに、商業主義と資格販売との癒着に思いを馳せる人も多かろう。 こういうこともあってか、本当の学問を身につけなければならないといった鹿爪らしい話が、専門学会などでよく取り上げられている。しかし、学問にしろ、学習であろうと、本来目的とするところは、学歴や資格と関係づけるのは本質から離れているといわざるを得ない。 「学ぶ」ということは、専門職にとっては生涯を通じての自分との闘いであり、その学んだことを伝え続けなければならない宿命を背負っている。医師や歯科医にとっては、患者さんという病める人への救済という使命を全うする手段として、学習が存在しているのである。 学んで成長しない人はいないが、結実には歳月がかかる。一つの目的達成においてすら要する時間は大変なことなのに、新しい知識や医学の進歩の発展に伴う技術習得、情報収集は並大抵ではない。しかし、こうした努力こそが競争社会の中での差別化であり、自分の強みを一歩一歩確保することになる。いろいろ苦労が多い職業だなとぼやく前に、福沢諭吉の「人間の世界に歴然たる別が生じるのは学ばざるからである」という言葉を噛みしめてもらいたい。 昨日の歯科医と今日の歯科医は、同じ人であっても違った存在である。身体は分子レベルで変わっていくからである。知識の蓄積と伝承の繰り返しと、患者さんへの治療の継続、この動的平衡の中に立たされているのが歯科従事者であるならば、毎日、知識や技術を新たにする「学び」には、厳正な態度で臨まなければならないし、その質の向上に常に関心が払われていなければならない。 クインテッセンス出版株式会社 代表取締役社長 佐々木一高「学ぶ」ことに終わりはない34

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です