デンタルアドクロニクル 2015
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28巻頭特集2-1 私の歩み ―好評書籍の著者が語る“学びの軌跡”―■ 日大歯学部クラウン・ブリッジ学講座医局員時代の思い出 1977年に歯学部に入学し、体育会系?のスキー部に入り、スキーとパチンコとマージャンに明け暮れた学生時代だった。遊んでばかりの私の人生を変えたのは、院内生時(6年)、恩師五十嵐孝義教授(元日本大学歯学部補綴学教室クラウン・ブリッジ学講座教授、2007年御逝去)の『WHIP-MIX 半調節製咬合器の使い方』という課外実習だった。それ以来、全調節製咬合器に憧れ、咬合やオーラルリハビリテーションに傾倒した。 1983年に卒業後、五十嵐教授門下生となった。当時の医局には佐藤友彦助教授をはじめ小泉政幸先生ほか優秀な人材がそろっていた。現在、審美補綴やインプラントで全国的に活躍している1年先輩の行田克則先生、2年後輩の萩原芳幸先生も在局していた。そんな優秀な人材に囲まれた私は、幸運にも3年目に有給助手に抜擢され、経済的にも恵まれていた。 その医局時代(1983~89年)は、バブル景気の真っ只中であった。医局のなかで一番浮かれていたのは高給をいただき驕った私だったようで、親友(悪友)と六本木に毎日通い朝帰り、遅刻を繰り返し、二日酔いのまま診療し、勉強もせず、ろくでもない医局員に成り下がっていた。こんな生活が長く続くわけがなく、医局を退局し、田舎に戻った。■後輩に打ちのめされた 田舎に戻っても仕事をする気がせず、3か月間、毎日朝からパチンコ通いをした。地元の先生に誘われ勤務医になり、2年間勤務後、1991年になんとなく開業した。 そんなある日、スキー部および医局の後輩の先生から、ある講習会に誘われた。講習会後、自分の症例をみてほしいとのことで、プレゼンをしてくれた。大変素晴らしい症例だったのだが、私は、ギャンブル好きであまり勉強もしない後輩という学生時代のイメージがあったため、上から目線でそのプレゼンを思いっきり批判した。後輩は「私の症例のどこが悪いのですか!」とものすごい形相で私の頚をつかむばかりに飛びついてきた。 後で知ったのだが、その後輩は卒後、講習会荒らしといわれるくらい、ありとあらゆるジャンルの講習会に出ており、誰にも負けないくらいの大変勉強熱心な先生に変わっていた。後輩は勉強もせず実力もない私のレベルを、会話の内容で気づいていたのだろう。私は後輩に、自身の傲慢さと不勉強を詫び、その日から勉強を一からやり直すことにした。■理想的な歯科医院像を求めて 気が付くと、私も大学を卒業し10関崎和夫(せきざき・かずお)1983年3月、日本大学歯学部卒業後、同大歯学部補綴学教室クラウン・ブリッジ学講座入局。1989年3月、同講座退局。1991年11月、新潟県見附市に関崎歯科医院開設。現在に至る。所属学会:日本矯正歯科学会、日本小児歯科学会、日本顎咬合学会所属スタディグループ:オルソフリーク矯正研究会、日本小児歯科研究会、町田塾『GPのための咬合誘導』の著者関崎和夫GPのための咬合誘導効果的な歯列拡大と床矯正の限界●関崎和夫:著●220頁 ●A4判●定価本体 13,000円(税別)

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