デンタルアドクロニクル 2016
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健康寿命延伸のための歯科医療を考える2016 巻頭特集19「要請がないから」という答えが多く返ってきます。はたしてそうでしょうか。 長年通っている患者さんから「腰が痛くて次の予約はキャンセルしたい。今度いつ行けるかわからない」という電話がきたとします。その患者さんに何と答えるでしょう? 「それは大変ですね。元気になったらいらしてくださいね」電話を受けた受付のスタッフは心配そうにそう答えるかもしれません。では、言われた患者さんはどう思うか。「元気じゃないと診てもらえないんだな」そう思ってしまうのです。ずっとかかりつけの歯科医院として通っていたにもかかわらずです。長い間、口の中の面倒をみてくれていた先生や歯科衛生士がいるのに、元気でなくなったらもうその人たちには頼れない、別の歯科医師を探さなくてはいけないというのが今の日本の現状なのです。要請がないのではなく、気付いていない、あるいは目をそらしてしまっているのではないでしょうか。患者さんの“最期”を見据えた診療を また訪問診療は、それだけ単独で存在するものではありません。外来診療からの流れで存在しています。外来診療でどんな治療を行ってきたかが、訪問診療に大いに影響するのです。何となくごまかしてきた口腔内を抱えて寝たきりになってしまうと悪化するのはあっという間です。けれど、患者さんが元気なうちに管理しやすい口腔内にしておけば、急に病気で入院することになっても、寝たきりになっても、その期間を逃げ切ることができます。 私は、一般向けの講演などでは「歯科治療は裏切らない」とよく言っています。噛めなくなる原因としては、歯がない、義歯が不適合であるなどの器質性のものと、口が動かなくなる運動性のものがあります。加齢による機能の低下や脳血管疾患の後遺症や認知症等による運動障害など、運動性の咀嚼障害に関しては予防や予測は難しく、一度起こってしまったらリハビリテーションを行ったとしても元通りになることは難しいのが現実です。しかし、歯科医師によって適切に治療された口、つまり咬合支持は病気になっても寝たきりになっても失われるものではありません。だから、私は「運動機能は裏切るけど、歯科治療は裏切らない。歯医者にだけはちゃんと行っておいてね」と一般の方々に伝えているのです。 ほとんどの人はその人生の末期には寝たきりになります。たとえ短期間であってもです。ですから、ある程度、高齢になった患者さんに対しては、いずれ訪れるかもしれない“その時”を見据えた歯科診療を行っておくべきですし、患者さんにもそのことをきちんと伝えておかなければいけません。なんといっても、“ピンピンコロリ”は1割ですから。患者さんの口の中を最期まで診るんだということを念頭に置いて、“裏切らない部分”だけはきちんとつくっておいてあげてほしいと思います。従来の歯科の考え方からのパラダイムシフトも必要 また一方で、従来の歯科の考え方からのパラダイムシフトも必要です。私たちは一貫して、しっかり噛めることを歯科治療の目標にしてきました。しかし、加齢とともに変化するまたは上記の疾患等によって侵される咀嚼機能は、あらゆる手を尽くしても改善を見ないケースが多いことは抗えない事実です。多くの高齢者は咀嚼障害を抱えたまま生活していかなければいけません。このような人たちに対しては、正しく咀嚼障害の重症度を診断し、成しえない障害の改善に徒労するのではなく、重症度に応じた代償的方法の提案を緊急性をもって行うことが求められます。その1つが咀嚼機能診断に基づく食形態の提案です。「噛めない人には噛まなくてもよい食事を提案する」ことも私たち歯科医師の仕事なのです。健康寿命だけでなく“不健康寿命”も支える歯科医療でありたい 健康寿命の延伸に歯科が大いに寄与できることは冒頭で述べました。歯科医療が口の中に止まらず、人々の健康や人生の豊かさに貢献できることは、歯科医師として非常に希望がもてることです。多くの歯科医療従事者の方々に力をふるっていただきたいと思います。しかし、またこうも思います。健康寿命のその先、患者さんの人生の末期に訪れる不健康な期間にまでも目を向けてほしいと。必ず、その時は来るのですから。 健康であることの素晴らしさを強調するあまり、“不健康”を切り捨ててしまうような論調がみられることがありますが、健康でなくなってしまったら、寝たきりになってしまったら“もうおわり”ではないのです。寝たきりで、口から食べる量が少なくなっている人のなかには、単に義歯の不適合が原因であるだけの人もいます。また、咀嚼機能が低下して、これまでと同じ食事を食べ続けることが困難になった人には、その人の機能に合った食事を提案してあげることもできます。ほんの少し口腔内の環境を整えてあげるだけで、あるいは環境をその人に合わせてあげることで、食べられるようになる患者さんもいるのです。そのことで、どれだけの希望や喜びを患者さんが、そしてご家族が得ることができるか。そこに歯科がいる意味はとても大きいのです。 たとえ、不健康であったとしても、寝たきりになってしまったとしても、喜びがあり、希望があります。それを支える歯科医療でもあるべきと私は考えています。

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