デンタルアドクロニクル 2016
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76●化学繊維メーカーとして発足したクラレ。 株式会社クラレのルーツは、1926年に化学繊維のレーヨンを事業化するために岡山県で設立された「倉敷絹織株式会社」にある。クラレはすでに2001年には祖業であるレーヨンの生産を終了しているが、もともとは化学繊維を生産するところからすべてが始まったといえる。当初の社名は、1949年には「倉敷レイヨン株式会社」に、そして1970年に「株式会社クラレ」へと改称された(以下、年代を問わずクラレとする)。 レーヨンの生産を端緒とし、そこから事業展開を広げていった企業は、クラレのほかに東レや旭化成、帝人、三菱レーヨンなどがある。●「独自の技術でものをつくる」―国産技術により生み出された初の合成繊維「ビニロン」。 レーヨン事業化の後、クラレの進む道を方向付ける意味で象徴的だったのが、1950年の合成繊維「ビニロン」の事業化であった。これは、国産技術で事業化されたはじめての合成繊維として歴史に残る製品である。上述のレーヨンもそうだが、ナイロンやポリエステルなどの主要な合成繊維は海外の技術を導入して国内生産しているが、ビニロンは、国産技術によって生み出された初の合成繊維であった。当時、業界他社が生産のノウハウも含めて海外から輸入していたのに対し、クラレはこの時代から「独自の技術でものをつくる」ことにこだわってきたのである。このビニロンの開発には当時の資本金の数倍という大きな予算が投入されたというが、当時の大原總一郎社長は、「一企業の利益のために興す事業ではなく、日本の繊維産業を復興するものだ」との熱い思いでこの事業に取り組んだのだという。実際、「日本初の合成繊維」に対する世間の期待は大きく、東京・三越本店で行ったビニロンの展示即売会には、吉田 茂首相をはじめとする当時の政経済界の要人が相次いThe KND Story―なぜ、クラレとノリタケが?―現在、世界90ヵ国で歯科材料を展開しているクラレノリタケデンタル株式会社(以下、クラレノリタケ)。同社はさる2012年、クラレメディカル株式会社と株式会社ノリタケデンタルサプライの統合により発足した。両社ともに、現代日本の礎を築いてきた大企業の流れを汲むメーカーであり、この統合は歯科界にも大きなインパクトをもたらした。そこで本稿では、クラレ・ノリタケ両社の歴史、そして、そのシナジーが何を生み出していくのかについて語っていきたい。(編集部)The KND Story ①History of Kuraray

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