デンタルアドクロニクル 2018
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若いDrの自信と成功をが創る!29若手の力量がボスの良さを引き出す宮崎●皆さん共通して、歯科医師のキャリアの早い段階でメンターになる方に出会っていることは、興味深いですね。 では、そのメンターたちから具体的にどのような教育を受けて、学ばれてきたのでしょうか?土屋●私は技術的な部分で誰かに手取り足取り教えてもらったということはなく、勉強会で症例発表をして、それを先輩方に評価してもらう形が主でした。宮崎●かなり厳しい指導があったのではないでしょうか?土屋●それは凄まじいものでした(笑)。「歯科医師の前に、人間としてダメだ」というところから始まりましたから。症例発表は、山﨑先生はもちろん、ほかに私より10歳くらい上の先生方に評価していただいていたのですが、いつも厳しいことしか言われませんでしたね。いちばん厳しかったのは、やはり山﨑先生でした。宮崎●そうして目をかけられて、厳しいながらも、時間もかけて指導してもらったわけですね。土屋●そうですね。たくさんくやしい思いはしましたが、不思議と「もうダメだ」とはならず、「よし、次は鼻をあかしてやろう」「次はほめられるようにがんばろう」と思えたんですね。それで、いまだにほめられたことはないんですけど(笑)……。通いました。そうすると先述の行田先生も図書館にいるんです。そのころ行田先生とはまだ顔見知り程度だったのですが「おっ、なんだ青島、また会ったな!」みたいに声をかけていただいて、「10年後もその勉強する気持ちを忘れるなよ。またここで会おうな!」みたいに言われて、モチベーションがすごく上がったのをよく覚えています。最近は図書館に行ってなくて、恥ずかしい限りなのですが……。宮崎●青島先生は、大学時代にサッカー部に所属していてすごく上手な選手だったと聞きます。そのクラブ活動の経験が今のキャリアに生きたようなことはありますか?青島●サッカーは小学生からやっていて、高校のときには埼玉県の国体のメンバー候補になりました。ただ、そこまでくると、周りの選手たちは当然実力者揃いで、その選考会で「ああ、彼らにはかなわないな」と思ってしまっ宮崎●そんな教育を受けた土屋先生の下で天川先生は働かれていたわけですから、やはりスパルタ教育的な感じで臨床を教わったのですか?天川●いえ、土屋先生は私に「ああしろ」「こうしろ」と教えることを一切されませんでした。“背中を見て学ぶ”、そんな感じでしたね。土屋●そうですね。天川先生を含め、私はこれまでの勤務医に具体的に何かを教えたことは一度もないです。天川●でも、叱られはしましたよ(笑)。土屋●そう。見ていて、ダメだなと思ったときは叱る。でも、叱るだけで、そのことに対しても「こうしろ」とは言いません。先ほど天川先生が、“背中を見て学ぶ”と言いましたが、私が受けた教育がまさにそうで、同じことを天川先生にも、今の勤務医にもしているわけです。天川●私は多分、叱られて伸びるタイプだったんですね。今でも土屋先生やSJCDの仲間の前で症例発表するときがあるのですが、ほめられることなんかまずないですし……。宮崎●“背中を見て”と言われましたが、天川先生は具体的にどうやって、土屋先生から学ばれたのですか?天川●臨床も臨床以外の場面でも、とにかく土屋先生をよく観察していました。たとえば、支台歯形成後の支台歯形態が、私と土屋先生とでは形がまったく異なるわけです。両方の支台歯模型を見比べて「何が違うのかな?」といつも考えていました。私はこれまで、土屋先生はもちろん、他にもSJCDの先輩や仲間など、お手本にできるすごくいい臨床を見ることができました。このことが自分の成長に大きく役立ったと感じています。青島●私も医局の五十嵐先生や佐藤先生あるいは他の先輩のすばらしい臨床をひたすら見て学びましたね。数値的なものとか知識のたぐいは、自分で本を読んで調べました。ですので、私は大学にいた時は毎日のように図書館に勤務医に具体的に何かを教えたことは一度もない。勤務医には「院長の右腕になる」というようなスタンスでいてほしい(土屋)これまで土屋先生やSJCDの先輩や仲間など、お手本にできるすごくいい臨床を見てきて、このことが自分の成長に大きく役立った(天川)

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