デンタルアドクロニクル 2019
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特別座談会150年前 から受け継がれるの理念1月星常日頃からわれわれにとってとても役に立つ製品をいち早くさんから紹介いただいてまして……。茂久田過分なお言葉をありがとうございます。月星さんは、われわれがハッと思うような製品を、世界中から探しだす活動を年中にわたり続けられているとのことで、とくに社長さんは1年の半分も日本にいないとか……。茂久田そうなんです。月星これはという製品を見つけだすための何かコツのようなものをお持ちなんでしょうか。茂久田は150年前に貿易会社として発足したのですが…、月星150年前!茂久田はい.150年前にスタートを切ったが歯科器材の取り扱いに邁進することになったのは,戦後間もないころに,治療を行うための器材もなければ,治療を施す先生方も戦争に駆り出されてしまっていらっしゃらない,そんな時代でした.しかも,戦時中からずっと日本国民全体の健康状態は非常に悪くて,お口の健康に関しても,痛い歯を治すには,その歯を抜いてしまう治療しかありませんでした. 当時,歯科治療のための道具も材料も技術もなく,また米国の管理下で輸入行為もままならないなかで,米国で生まれた祖父が,国力増強に大事なのは,国民の健康,国民の歯を残すという理念のもと,戦後5年目にして,日本で最初に輸入を開始したのがでした.足がかりとして,ジッペラーというエンドの器具を輸入して,それが日本中のドクターから高い支持を得られたことがすべての始まりです. その当初からのDNAを脈々と受け継いで,健康な歯を,自分たちの歯を生涯残すためには,どのような製品がこれから必要とされるのかをつねに考え続けていくというのが,われわれが商品を探すうえでの基本です.月星ということは、必然的にエンドの製品がやっぱり多いんでしょうか?茂久田はい。エンドから始まり、つぎに、戦中戦後に歯を失った方のためのデンチャーブームによって、日本企業の人工歯製造の見本となったデンツプライの人工歯や周辺製品で2番目のブームが私たちを含めた業界全体にありました。3番目に、メタルボンドのような審美性と永続性を高める修復がブームになって、そこから一気に世界と日本の歯科治療の差が縮まりました。 世界中の学会・展示会へ参加し、どういう講演が行われて、聴衆からどんな質問がされて、それに対してどういう回答が示されるのか。最先端の治療では何が求められて、それが日本にどう進化して入ってくるか。というのを直接見て分析しながら、現在の日本の先生方の要望をそこにオンして、改良を施したうえで商品をお届けするということの繰り返しを、このように戦後70年間続けてきました。月星ジッペラーのファイル・リーマーは、今でも使われ続けてます【COLLECTION 25ページ】。どんな製品がいちばん今までさんが日本へ輸入して役立ちました?茂久田そうですね。おそらく、今まで70年間販売してきたファイルの累計の数から推察しますと、私どもが輸入したかいあって、患者様の数十億本の歯を守ることができたと思っています。月星そういうファイルによって歯を残す。たくさんの歯が助かった。茂久田抜かずに残ったということです。不幸にもなくなってしまった歯は、デンチャーで補おうと提案しました。軽度のう蝕や健全歯の疾病予防には、世界で最初のコンポジットレジンを輸入し、世界で最初の超音波スケーラーを60年ぐらい前から、次いでプロフィーカップや顕微鏡なども50年前に輸入していました。それが今の8020に象徴される国民全員の健康意識向上につながっている自負がございます。prole01月星光博月星歯科クリニック愛知県海部郡開業1977年大阪大学歯学部卒業。シリーズMIに基づく歯科臨床『ペリオドントロジー&ペリオドンティクス』『自家歯牙移植 増補新版』『コンポジットレジンと審美修復』『治癒の歯内療法 新版』『外傷歯の診断と治療 増補新版』(クインテッセンス出版)など、著書・訳書・論文など多数。24

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