歯科衛生士 2019年12月号
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[後編] 変わり始めた社会平穏死に歯科はどうかかわるか歯科衛生士が終末期のケアに果たす役割米山 われわれ歯科というのは、生き死にからは非常に遠いところにいた医学領域ですが、このように看護師さん方や医師の方々と話すうちに、また違った世界が開かれていくように思っています。先生は、ご著書の中で歯科衛生士が中心に行う口腔ケアの重要性を述べてくださっていましたね。本に何箇所もマーキングしました。著名な医師が、ご自分の体験から歯科衛生士のことを書いてくださっていることに励まされ、「ああ、これがわれわれがこれから目指す道なんだ」と意を強くしました。口腔というのは、生まれてから死ぬまで大事なところなんだと。だから死に往く方々を支える役目があるんだということを、われわれ歯科が認識し直していかなければいけないと思っています。 私自身が、歯科医師・歯科衛生士の役割、特に歯科衛生士の役割がとても重要だと思うのは、口の衛生管理、それから食べることに対するサポート、口の渇きとか乾燥の苦しみをちょっとでも和らげてあげる、といった役割がすごく大切になるからです。いままで私は“歯科衛生士の応援団になりたい”とずっと思って来ましたので、摂食嚥下リハビリテーションのなかで、歯科衛生士の新しい領域(“食べる”を支える)が認められたことを喜ばしく思っています。寿命が尽きるのだから食べないのであって、食べないから死ぬのではない米山 ただ、最近の「とにかく口から食べることが大切だ、食べさせよう!」という風潮には、ちょっと待ってという気持ちがあります。食べない人たち、これ以上食べられない人たちもいるはずじゃないかとも思うんですね。われわれも、かかわり方のスタンスを変えながら、その人にとってもっとも良いケアを模索していますが、先生に改めてこの差についてお聞きしたいですね。石飛 これは“自然に”ですね。ホームで平穏に亡くなられる方に共通するのは、だんだん食べなくなるので、体重が確実に減ってくることです。なかには足のむくみで、まだ見かけの体重だけはある方もいらっしゃいますが。あまり科学的でなくて申し訳ありません。米山 ですが、相当数の方がそのような経過を辿られているわけですよね。たとえば、食べなくなるということと、眠り始めるというのは、ちょうど時期を同じくするのでしょうか。石飛 そうですね。いま、自然に看取ることが平穏死につながるのは、脱水や低栄養などによって脳内麻薬のβ-エンドルフィンやケトン体が増加して、鎮痛・鎮静効果がもたらされるからだ、などと言われているじゃないですか。でも、私はその説が正しいかどうかにはあまり興味がないのです。 私たち生き物は、いつまでも生きられないのだから、結局は食べなくなります。本人は食べたくないのです。寿命が尽きるときは、身体が栄養を受け付けなくなるということです。食べたくない人に、無理やり食べさせることはないでしょう。食べたいのに食べられない餓死とは違いますからね。 私たちは、腹がいっぱいなら食べないじゃないですか。それこそ歯科の先生や歯科衛生士さんにお世話になって歯の調子を整えて、自分の好きなものを好きなだけ食べています。私なんか「今晩、どの酒を飲もうか? 酒の肴は何にしようか?」、それが楽しみで生きているようなものですよね(笑)。私もいつまで食べて生きられるかわかりませんが、きのうも慶應の同窓会がありまして。渋谷の三漁洞という、一杯飲み屋のうまい店があるのですが、そこにみんなが集まって飲みました。ほとんど外科医で、私は若いほうで、一番上は93歳という集まりですが、「俺たちは“うまいものを食いたい”“この酒が飲みたい”なんて欲があるんだから、まだ生きられる」なんて言っていましたね(笑)。食べられる・食べられないの境目Understanding that patients stop eating because they are dying, not dyingbecause they have stopped eating, can reduce family and caregiver anxiety.(死を迎える人は、生命を終えようとしているから食べないのだ。食べないから死ぬのではない。それをわかっていれば、家族や介護をする人は思いわずらわずに済む。)――『ハリソン内科学 第3版(原著第17版)』(メディカル・サイエンス・インターナショナル)より83歯科衛生士 December 2019 vol.43

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