インプラント長期症例成功失敗の分岐点
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66はじめに 20世紀の歯科界におけるもっとも大きな変革のひとつに、Per-Ingvar Brånemark(ペル・イングヴァール ブローネマルク)(図1)によるオッセオインテグレーションの発見とその臨床応用を挙げる人が多い。それを基礎としたインプラント療法の確立により、患者は長期間にわたる安定した状態でのQOLの改善が可能になり、歯科医師は予知性の高い治療法を手中に収めることができるようになった。しかしながらその恩恵はそれだけにはとどまらず、研究者には莫大な量の研究テーマを与え、さらには関連する業者には夢のような利潤をもたらしてきたことを忘れることはできない。巷間では「Brånemarkはさぞうまい汁を吸ってきたのだろう」との噂も聞かれるが、2010年6月、イェーテボリの自宅に招かれた日本人歯科医師の口々から「これが本当に教授のお宅ですか? 広い敷地に建っているわけでもなく、あまりにも普通の住宅で驚きました。もっとすごい生活をされていると思っていました」と語られるように、特別に贅沢をしているわけではない(図2)。 遡ること28年前の1983年6月、 Brånemarkは2週間にわたり東京に滞在し、東京歯科大学水道橋病院ならびに同大学千葉病院において8名の患者に対してフィクスチャー埋入手術を行い、これがわが国におけるオッセオインテグレーション・インプラントの夜明けとなった。 第1号症例は、6月7日に実施された当時63歳の女性の下顎無歯顎症例で、手術後にBrånemarkにより記入された手術記録(図3)からもわかるように、彼のプロトコールに則り、左右オトガイ孔間に6本のスタンダード・フィクスチャーが埋入された。この症例では、術後20年余りは追跡ができたものの、その後の消息は途絶えた。同時期に適用された残りの7例についても、1例はインプラント療法総論小宮山彌太郎(Yataro Komiyama)(ブローネマルク・オッセオインテグレイション・センター)●略歴1971年3月 東京歯科大学卒業1976年3月 東京歯科大学大学院歯学研究科(歯科補綴学専攻)修了1980年9月~ 1983年5月 スウェーデン、イェーテボリ大学歯学部、医学部客員研究員1990年6月 東京歯科大学退職1990年8月 ブローネマルク・オッセオインテグレイション・センター開設1993年4月 東京歯科大学 客員教授2006年7月 東京歯科大学臨床教授2006年8月 神奈川歯科大学 客員教授1948年生まれ、女性上顎:2003年9月16日 フィクスチャー埋入、すべてTiUnite。下顎:1996年8月9日 フィクスチャー埋入、すべて機械仕上げ。

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