臨床家のための矯正 YEAR BOOK 2014
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010巻頭インタビュー臨床家のための矯正YEARBOOK 2014三浦不二夫先生に聞く日本の矯正歯科の歩み 近代矯正学が始まっておよそ110年を迎えようとしている.めまぐるしく日進月歩の技術革新を遂げている現代矯正において,長年にわたって日本の矯正歯科界に多大な貢献をされてきた三浦不二夫先生をお迎えし,その当時の貴重なお話,また今後の展望をうかがった.(聞き手:矯正YEARBOOK編集部)矯正の幕開け──今日はお忙しいところお越しいただき,ありがとうございます. 矯正の歴史から始めていただき,歯科大学の秘話に至るまで,三浦先生ならではのお話をしていただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします. 最初に,寺木定芳先生や榎本美彦先生といった日本にいち早く矯正歯科を導入した先駆者たちのことをお話いただけないでしょうか?Stomatologist&Dentist三浦 日本の矯正の歴史を話す前に,国際的な視野からヨーロッパと米国における歯科についてお話ししましょう. ヨーロッパでは6年かけて医者になった後に2年ないし3年をかけて,歯科医学を学び口腔病医“Stoma-tologist”として医療に参加するのです.ところが米国は,ヨーロッパから米国大陸に渡った開拓者が,新しい町を開拓していくわけです.ふと気がつくと,6年プラス2年ないし3年かけたStomatologistは新大陸に来てくれない.開拓者たちはう蝕だらけになっても治す人がいないわけです.そうなるとStomatlogistとして医者を教育するのとは別に,歯を至急治すという必要に迫られて,1840年にメリーランド州のボルチモアに歯科大学を創ったのが初めなのです.すなわち,歯科医師“Dentist”が誕生したのは米国なのです.──ボルチモアがDentistを養成する最初の歯科大学なのですね. 三浦 そうです.その後,ニューヨークやフィラデルフィア,ボストンに歯科大学が創られ,次第に太平洋側にもできてくるわけです.矯正教育の始まり──このボルチモアの時代から矯正というのはあったのですか?三浦 ボルチモア大学を初期に卒業したKingsley(1829-1913)が『Irregu-larity of the teeth and their treat-ment』を書いて,これからの歯科医はirregularity of the teethも治すべだと主張しました.その頃日本では高山歯科医学院(東京歯科大の前身)の高山紀齋先生が著書の『保齒新論』のなかでirregularityを“跌”という難しい漢字で訳し,第13章に「跌論」をまとめました(図1).──サテツは“つまづき”という意味が一般的ですが,漢字違いでしたよね.三浦 そう.当時は凸凹という意味で使っていました.アーチを想定した歯列弓から飛び出た歯を“歯”といい,いつのまにか“乱杭”に変わり,さらに“歯列不正”へと変わっていったのです.三浦不二夫 Fujio MiuraPROFILE1960年,シカゴ大学・歯科人類学教室研究員.1962年~1991年,東京医科歯科大学歯学部歯科矯正学教室教授.1966年~1968年,東京矯正歯科学会会長.1973年,第3回国際矯正歯科会議副会長(ロンドン).1974年~1979年,日本矯正歯科学会会長.1976年~1985年,東京医科歯科大学歯学部病院長併任.1986年,国際歯科研究学会日本部会会長.1985年~1986年,国際歯科研究学会理事.1990年,東京医科歯科大学名誉教授.2004年,東京医科歯科大学経営協議会学外委員医学博士,日本矯正歯科学会名誉会員,日本臨床矯正歯科医会名誉会員,世界矯正歯科連盟(WFO)名誉会員

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