繋ぐ
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繋ぐ ― 災害歯科保健医療対応への執念 ―112野宿者支援活動から新潟県中越地震へ、避難所医療コーディネーター 災害にかかわり始めたきっかけは、平成16年10月の新潟県中越地震だった。大学を卒業する頃から野宿者の支援活動にかかわっていたが、そこで一緒にやっていた看護師が新潟の出身で、地元の友人らの情報もあり、向かうこととなった。結局、NGOの一員として行くことになり、新潟大学出身者のコネも使いながら、避難所となっていた小学校・保育所・公民館の複合施設にて、24時間対応の保健室を設けることとなった(図1)。 行ってみると、家をなくした、家に住めなくなった方々がたくさんいて、本来ならば寝る場所ではないところで避難生活を余儀なくされていた。結果的に、保健医療者としてその場ですべきことは、野宿者の支援活動の内容とまったく同じで、拠点を設けて巡回し、外部と繋いで情報を共有する、いわゆるコーディネーター業務だった。5人で行ったが2日目には3人帰り、結局は最初に行こうと言い出した看護師と2人で、24時間を3日継続することとなった。当初は、それなりに交代で仮眠する予定だったものの、夜中もひっきりなしの来客があり、ほとんど眠れる状態ではなかった。 後続の援軍が来るまで、僕は健康センターなどへの報告や打ち合わせなどで外出することもあったが、看護師は72時間ひたすら避難所にいた。いずれにせよ、援軍が来るまでは帰れ

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