ペリオドントロジー&ペリオドンティクス上巻
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ペリオドントロジー&ペリオドンティクス 上巻008はじめに このCHAPTERのタイトルはどこかで聞き覚えがないだろうか? わが国でも一世を風靡したハーバード大学のマイケル・サンデル教授(哲学)の著書「Justice」の翻訳出版『これからの「正義」の話をしよう』(鬼澤忍・訳,東京:早川書房,2011年)をもじったものである.「正義とは何か?」について語るサンデル教授によるハーバード大学屈指の人気講義は,「ハーバード白熱教室」としてNHKで放送されたが(全12回),筆者もそれに魅せられた1人である.番組を見たことや,本を読んでいない人のために,少しだけこの講義のさわりを紹介しよう(以下,番組と著書からの抜粋と要約). 「あなたは暴走する路面電車の運転手である.そしてこの電車は決して止められない」という架空の設定で話は始まる.「このまま進めば,行く手には5人の作業員がいてはね殺してしまう.ふと,右へそれる待避線があることに気づく.そこには一人の作業員がいる.舵を右へ切れば1人を犠牲にするが,5人を助けることができるのである」.まっすぐ進むか,舵を右に切るかの選択しか与えられないとして,聴講している学生に問いかける.多くの学生は,舵を切ることに手をあげる. つぎに,サンデル教授は別の事例で聴衆に問いかける.「あなたは運転手ではなく,暴走する路面電車を高架(橋)から見ている傍観者である.このままでは5人の作業員がはね殺されることがわかっている.しかし,近くにいる大男を橋から突き落とせば,大男は死ぬが5人の命を救うことができる」と.今度は,ほとんどの聴衆は,大男を突き落とすことを選択しない.サンデル教授は,「どちらの事例も,1人を犠牲にして5人を助けるということに変わりがないが,後者では間違っているように見えるのはなぜなのだろうか」となげかける.講義や著書では,さまざまな身近な事例を取り上げながら,人間が社会のなかで生きていくための正義とは何かについて考察し,聴衆や読者を引き込んでいく. もうおわかりと思うが,CHAPTER 1をこのタイトルにした理由は,歯周治療(ペリオ)の在り方(正義)について自分なりに考えたいと思ったためである. 「ペリオの正義」とはなんだろうか? おそらく,「正義」の定義は各個人でまちまちである.この正義の曖昧さは,治療法の選択の判断基準の曖昧さにもなっているかもしれない.すなわち,ある特定の術式で歯周病を治療することを強調する論文や講演が少なからず存在し,正しい公平な知識を得ようとする者にとって情報の混乱を招いているようにも思われる.筆者の経験でもそうであるが,判断力がともなわない場合,何を信じて治療を行うべきか悩むことは少なくない. そこで,この35年間に筆者が行ってきた臨床を振り返りながら,問題点を以下に整理し,自分が行ってきた治療に正義があるかについて考えてみたいと思う.歯周再生治療への憧れ 歯周治療のゴールを,失われた歯周組織の再生に求める,あるいは憧れる歯科医師は少なくない.筆者も例外ではない.筆者が外傷歯学や歯の移植学に興味を覚えたのも,きっかけは歯周組織の再生治療への関心からであった. Fig 1は,Dr. John F Prichardの『ADVANCED PERIODONTAL DISEASE』に掲載されている症例(治療)にあこがれて,見よう見まねで行った歯周再生外科療法である.偶然かもしれないが,失われた歯槽骨は回復し,16年後でも維持されている.当初は,この症例を提示しながら外科治療の必要性を強調したが,本当のところはどうであっただろうか? Fig 2は,進行した骨欠損を示す下顎大臼歯部をスケーリング・ルートプレーニング(以下,SRP)で治そうと試みた症例である.第二大臼歯の近遠心と第一大臼歯の遠心の骨欠損は,1年2か月を経過した時点で著しく回復してきており,19年後ではさらなる改善がみられる.第一大臼歯の遠心では水平的にも骨欠損が改善されているようにみえる.その一方で,第一大臼歯の近心の骨欠損は,再三の再SRPにもかかわらず,初診から1年2か月後も改善傾向がみられなかった.そこで,同部に歯周再生外科療法(脱灰凍結乾燥他家骨移植demineralized freeze dried bone allograft, DFDBA)を行ったところ,著しい骨欠損の改善が得られた.この症例からは,非外科的歯周治療でも骨欠損を改善できることを学んだと同時に,非外科的治療の限界と歯周再生外科療法の有用性も学ぶこ

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