季節の中の診療室にて
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49父母ヶ浜……………………の豊かさに比例するように、打ち上げられてくるゴミが増え、海の汚れがひどくなっていることは子どもでも気がかりだった。やがて中学生、高校生になり、この町を離れ大学に進学すると夕日が沈む浜の情景を思い出すことも少なくなっていった。 長崎に住んでいた1992年、ふとしたきっかけで秋の諫早湾の干潟の絶景を目にすることになった。当時、長崎では諫早湾干拓事業が推進されていたが、その一方で海洋学者たちは干潟の水質浄化作用や豊富な生物の重要性を訴え、反対活動を行っていた。この時初めて生命、地球にとっての干潟の重要性について学んだものの、長崎を去る私には干拓事業の中止を祈ることしかできなかった。 その後1994年に故郷の香川県仁尾町に開業したが、しばらくすると父母ヶ浜の埋め立て計画があることを知り愕然となった。私以外にもなんとか中止にしようとする人たちもいて、数人が集まり「父母海岸を愛する会(ちちぶの会に改称)」を作り、月に一度浜の掃除が始まった。工事計画図面のコピーがどこからか入手され、地元の有力者にも面談をお願いしていると「父母海岸地区江尻護岸研究会」が発足された。この時、私は研究会の一員として会議に出席したが、いっこうに有意義な討論や議論はみられなかった。地元新聞がこれを取り上げ記事に私の名前が掲

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