新聞クイント2010年7月(お試し版)
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2010年7月10日(土) 第175号2今月のニュース今月のニュース 5月22日(土)、帝国ホテル東京において、東京歯科大学(金子 譲学長、熱田俊之助理事長)創立120周年記念式典・講演会・祝賀会が「継承と発展」をメインテーマに盛大に開催された。 本大学は、1890年に日本初の歯科医学教育機関として高山紀齋氏によって創設された高山歯科医学院をルーツとし、現在までに数多くの優秀な人材を輩出している。 会場となった富士の間ではまず記念式典が行われ、熱田俊之助氏(東京歯科大学理事長)は式辞のなかで、「歯科医学教育のパイオニアとして、いっそうの努力をしていく所存である」と述べた。引き続き、大久保満男氏(日本歯科医師会会長)、納谷廣美氏(日本私立大学連盟副会長)、大山萬夫氏(東京歯科大学同窓会会長)、Chung Moon-kyu氏(韓国・延世大学歯科大学学長)、Oleg Yanushevich氏(モスクワ国立医科歯科大学総長)による祝辞が披露された。また金子 譲氏(東京歯科大学学長)は、「次世代を担う人材の輩出、新しい歯科医療の発展に本大学が役割を担うことを念願し努力する所存である」と謝辞を述べた。 その後、孔雀の間では記念講演・祝賀会が行われ、記念講演では水川秀海氏(静岡県開業、東京歯科大学昭和34年卒業)が「歯科大学の誕生」と題して登壇。氏は多くのスライドをもとに東京歯科大学の誕生から現在に至るまでの歴史を紐解いた。引き続き金子学長は、「東京歯科大学の今後の発展」と題し、本大学の軌跡に触れながら学長就任以降の改革や事業の取り組み、新しい時代の兆候に対する今後の対応などについて述べた。 講演会終了後の祝賀会では、三笠宮殿下による乾杯や、長年疎遠になっていた卒業生らの往時を懐かしむ様子なども見られ、創立120周年記念事業は成功裏に幕を閉じた。東京歯科大学創立120周年記念式典・講演会・祝賀会を挙行国内外から多数の関係者が参集し、成功裏に終幕社 会歯科界は1枚岩になれるか……歯科界は1枚岩になれるか…… 絵 山香和信 絵 山香和信 6月10日(木)、ベルサール八重洲(東京都)において、「第6回ワールドデンタルショー2010出展説明会」(クインテッセンス出版、日本歯科商工協会主催)が開催された。本説明会は、きたる10月8日(金)から10日(日)にかけてパシフィコ横浜(神奈川県)にて開催される本デンタルショーに出展する企業に対して、出展概要・規約などを説明するもの。 会場では、当社代表による挨拶後、同社スタッフより全体の概要説明が行われた。続いて、宮内啓友氏(日本歯科商工協会プロモーションコード委員)より薬事法にもとづく出展規約が詳説され、その後、運営事務局より出展マニュアルや薬事関連チェックリストなど、配布資料の説明が行われた。 第6回日本国際歯科大会および2010歯科衛生士シンポジウムには、国内外より350名以上の演者が講演する予定のため、同大会併催の本デンタルショーは、前回の来場者数約41,500名を上回る大勢の歯科医療関係者が参集することが予想される。 なお、6月10日現在で前回を大きく上回る270社の出展が決定しており、出展社の本デンタルショーに対する期待度がうかがえた。式辞を述べる熱田理事長。会場には160社をこえる220名が参加した。第6回ワールドデンタルショー2010出展説明会開催前回を大きく上回る270社が出展を予定社 会Humanitarian Awardを受賞した香月 武佐賀大学名誉教授「恵まれないの患者さんへの治療と発展途上国および日本の口腔外科医の育成に残りの人生を捧げたい」 歯科医師、香月 武氏の唇裂・口蓋裂治療をはじめとする発展途上国への医療支援活動は、一般紙でも取り上げられるほどだ。氏は、17年にわたる同活動が世界的に評価され、さる6月に韓国で開催された国際口唇口蓋裂学会(以下、ICPF)においてHumanitarian Award 賞を受賞した。本欄では、これまでの医療支援活動を振り返っていただくとともに、氏を同活動へ突き動かす医療人としての思いに迫る。香月:私が今回受賞させていただきました賞は、発展途上国の唇裂・口蓋裂の医療援助に長年貢献した方々に対してICPFから贈られるものです。歴代の受賞者には、Byong-Il Min氏(ソウル大学名誉教授)、Hermann Sailer氏(元チューリッヒ大学教授)、日本では田代英雄氏(九州大学名誉教授)などが受賞されています。 すでに同賞を受賞されているICPF名誉会長のMin氏は、1993年から2007年までベトナム・ベンチェ省の病院でともに唇裂・口蓋裂の手術に参加した仲で、彼と過ごした年月は私にとって忘れられない思い出です。ここ数年は体調を崩され、一緒に手術に参加できないのが残念ですが、Min氏の地元・韓国でこのような賞をいただけることは身に余る光栄です。 私の医療支援活動は、1993年からベトナム・ベンチェ省を皮切りに、その後連続17回、同ニンビン省2回、ラオス2回、ミャンマー1回、スリランカにはJICA(日本国際協力事業団)の専門家として、また日本口腔外科学会の指導員として4回、フィリピン7回、チュニジア11回、モンゴル3回と、発展途上国の手術支援と医療技術の指導にあたりました。 私が大学を卒業した1960年代の日本は、唇裂・口蓋裂を治療できる施設が少なかったので、手術を待つ患者さんが非常に多く、なかには数年待ちの患者さんや、田舎では手術が受けられない患者さんもいました。しかし、近年では医療機関が増え、また適正な手術手技を身に付けた専門医も増えたので適切な時期に手術を受けられるよ【プロフィール】1961年、九州歯科大学卒業後、九州大学大学院医学研究科口腔外科学講座を経て、1978年、九州大学歯学部助教授。1981年、佐賀医科大学歯科口腔外科学講座教授。2002年、佐賀医科大学(現佐賀大学)名誉教授。㈳日本口腔インプラント学会指導医、㈳日本口腔外科学会指導医。 うになっています。 一方、発展途上国ではいまだに手術を待っている患者さんが多くいます。さらに世界中では2分間に1人、1日に660人の割合で唇裂・口蓋裂の子どもが誕生しています。同疾患は産婦人科、小児科、口腔外科、小児歯科、矯正科、耳鼻咽喉科、精神科などとも連携を必要とする疾患ですので、途上国でも日本と同様に一日でも早く手術を受けることができるように支援活動を続けていきたいと思っています。 私はまだ手術を行うための十分な視力と身体機能を持っていると自負しています。今後とも恵まれない患者さんへの治療と、発展途上国および日本の口腔外科医の育成に残りの人生を捧げたいと思います。

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