デンタルアドクロニクル 2018
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特別座談会30宮崎●私は大学にいますが、今の学生は「いい子、いい子」で育てられてきて、自分を否定されることに対して本当に弱いんですよね。「おまえ、こんなんじゃダメだよ」と言うと「あっ、自分はダメなんだ」となってしまう学生が多い。土屋先生はさきほど「もうダメだ」とはならなかったとおっしゃっていましたが、どうやって先輩方の厳しい指導を乗り越えられたのですか?土屋●いま考えれば叱咤激励、つまり叱りながらも、私や私の症例例示ときちんと向き合い、タイミングを見計らってフォローアップをしていただいたのだと思います。そのやり方は人それぞれだと思いますが、そういうフォローアップはやはり大事ですね。岩野●私は伊藤先生のオペにつくときは写真係を兼ねていたのですが、まだフィルムカメラの時代で、最初の頃は撮影に失敗すると「症例は一度きり、二度と返ってこないんだ!」と毎日のように叱られていました。しかし、あるときいつもどおり緊張しながら教授室に行って写真を見ていただくと「98点」と言っていただいて、とてもうれしかったことを覚えています。AAP-JSPハワイ大会のポスター発表でも、予演会で「俺の名前を外せ」というくらい叱られたのですが、結果的に賞をいただいて、そのときはじめて「がんばったな」と言っていただきました。 伊藤先生からは13年間叱られ続けましたが、やはりそうして厳しいなかで、時に労いの声をかけていただいたことで、「また、がんばろう」と思えましたね。天川●私はさきほどの支台歯形成の話で「どうしてもうまくいかない」と思ったら、「ちょっと見ていただけませんか?」と土屋先生に模型をもって見ていただきました。すると土屋先生がその模型を10秒くらい、ちょっと手をたんです。結局、国体のメンバーには選ばれませんでした。もちろん実力不足だったのかもしれませんが、自分の気持ちが弱くて、そこで自分自身に負けてしまったのだと思います。 その経験から、とにかくあきらめたらダメだと思うようになりました。何事もあきらめないでやり続ければ、今より下手にはならない、ちょっとずつはうまくなると考えて、これまでやってきました。岩野●私が師事した伊藤先生は優秀な教育者である一方で、昔かたぎな方であり、医局員に対してはまさに「俺の背中を見てついてこい!」という方針でした。1人の人間として非常に尊敬できる方であり、たいへん厳格な方でもありました。伊藤先生は臨床がすごくお好きだったのですが、あまりに厳しいので、私が入局した際、周りの医局員は伊藤先生の診療介助に付くのを遠慮するほどでした。私にはそんな状況が幸いして、伊藤先生のアシストやオペ見学には付き放題で、そこでひたすら見て学びました。 私も天川先生同様、どうやらそういう厳しい環境に身を置くのが好きな性格のようです。あっ、でも伊藤先生は医局外の人にはすごくやさしい先生でいらしたことを誤解のないように申し添えます(笑)。 ただ、私は13年間大学にいた開業6年目の若輩ですからGPとしてはまだまだ成長途中であり、いまもいろいろなセミナーに参加したり、多くの方からご指導をうけています。本日同席させていただいている皆さんとは違い、今でも学ぶことばかりだというのが実情です。宮崎●こうして話をうかがってみると、手取り足取り何かを教わった方など1人もおらず、皆さんメンターの懐に入り、厳しい環境に身を置いて、彼らの姿勢や言葉を足掛かりにして、歯科医師としての方向性をご自身でつくられてきたことがわかります。叱咤はすべて激励と捉えれば楽しい何事もあきらめないでやり続ければ、今より下手にはならない、ちょっとずつはうまくなる(青島)厳しいなかで、時に労いの声をかけていただいたことで「また、がんばろう」と思えた(岩野)教わるな、感じろ!加えるだけで、その支台歯形態がカッコよくなったりするんです。宮崎●具体的に教えないけれども、たまにお手本を見せる。これが土屋先生流のフォローアップであり、教育だったのだと感じますね。土屋●いま、支台歯形成の話が出ましたが、教えるということでいうと、たとえば支台歯形成というのは患者さんが10人いたら10人様の歯列があって、その歯列それぞれに対してバランスを見て行っていくものですから、そこに教えられる数値的なものはありません。ある意味センス、感性なんですね。他の歯科治療でも同じようなことが言えますが、臨床は基本的に教わるものではなく、皆さんがそうされてきたように見て感じるものなんですね。 だから院長は「背中だけ見せていればいい」と私は思うわけです。宮崎●青島先生は、勤務医の教育という意味ではいかがですか?

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