デンタルアドクロニクル 2021
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32巻頭特集2-1  歯科界大注目企業〜focus on 誌上デンタルショー2021歯科界大注目企業〜focus on 誌上デンタルショー2021山﨑長郎氏が語る「CEREC」の歴史「ゼロイチ」に挑戦する企業姿勢北本:当社のCAD/CAMシステム「CEREC」が1985年に誕生し、おかげさまで2020年に35周年を迎えることができました。まずは「CEREC」をご活用していただいております歯科医師をはじめとする歯科医療従事者の皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。 いうまでもなく日本の歯科界を代表する補綴臨床家であります山﨑先生には、本システムをいち早く歯科臨床に導入していただきました。当社のCERECはこれまで山﨑先生をはじめとする臨床家の多くの先生方にアドバイスをいただきながら、ともに成長・発展させていただいてきたと自負しております。まずは、35年にわたるCERECの進化について、山﨑先生の率直なご感想をお聞かせください。山﨑:私は1987年に「CEREC 1」と出会い、そのシステムの成長を臨床現場で見続けながら現在に至っています。その誕生から35年が経った今だからこそ言えることかもしれませんが、まさしくCERECは既存製品の進化ではなく、「0→1(ゼロイチ)」を生み出した器械といってよいでしょう。 当時のCERECがミリングしたマージンは今と比べてはもちろんよくないのでしょうが、大海に浮かぶ小舟のようでしたから(笑)。しかし、CERECシステム開発者の1人であるWerner Mörmann(ヴェルナール・メルマン)先生(スイス・チューリヒ大学教授)にお会いして以降、さまざまなアドバイスをいただきました。なかでもコンポジットレジンのコントラクションギャップを解決したいといった秘話など、印象的なお話をたくさんうかがったことを覚えています。北本:CERECシステムは、器械とソフトウェアのさらなる進化によって、常に新たな答えを探しながら生み出し続けてきました。それが1つのゲーム チェンジャーであり、現在のビッグバンにつながったともいえるのではないかと思っています。その進化の中で、特に印象深かった出来事は何でしょうか。山﨑:1985年から2000年までは、CERECのスキャナーとミリングは一体型でしたが、それぞれの精度を担保するために独立分離されたのが2000年に発売された「CEREC 3」でした。これはエポックメーキングな出来事でしたね。初めてスキャンデータを活用するというコンセプトで「これはいけるな!」と感じましたし、私が主宰していた「セレックマスターコース」をはじめ、全国各地のCEREC関連の研修会が盛況になっていたのが思い出されます。まさしく現在のデジタルデンティストリーの礎となったシステムだといえますね。 もちろん、器械だけでなく2005年にはマテリアルに待望のジルコニアが追加されました。これはCAD/CAMシステムをさらに普及させた革新的な出来事といってよいでしょう。従来の懸案であった歯頚部のシャドーや金属アレルギーなどの問題がクリアされたことは、メタルフリーへのパラダイムシフトとなるわけですが、当時日本の歯科界においてジルコニアのニーズはそれほど大きくなかったのを覚えています。 2006年に開催されたCEREC 20周年のイベント「20 Years of CEREC Anniversary Symposium」(ドイツ・ベルリン)では世界各国から1,000名以上、日本からは約20名が参加し、私は演者として招聘されました。その講演ではフルマウスの2症例を披露させていただきましたが、たいへん高評価をいただきました。日本がグローバルと協業して研究や発表を歯科臨床における信頼と安心をつなぐ 歯科臨床における信頼と安心をつなぐ 35 Years of CEREC35 Years of CEREC山﨑長郎山﨑長郎 やまさき・まさお東京都開業1970年、東京歯科大学卒業。1981年、本多正明氏とともにSJCDインターナショナルを創設。2017年より日本臨床歯科学会理事長。日本の歯科臨床をリードし続ける臨床家であり、国内外で講演・著書多数。聞き手:北本優子氏(デンツプライシロナ株式会社代表取締役社長)CERECは既存製品の進化ではなく「0→1(ゼロイチ)」を生み出した器械

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