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下顎の基本位

【読み】
かがくのきほんい
【英語】
Position of the mandible
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
⇒下顎位 
頭蓋に対して下顎がとる3次元的位置。GPT-6では、上顎に対する下顎の何らかの空間的関係、上顎に対する下顎の無数の関係のひとつと定義されている。ヒトは自分の意志で自由に下顎を動かすことができるので、本来下顎位は無数に存在し、境界運動範囲内で下顎が取りうるすべての位置をさすことになる。これらのうち下顎運動の出発点または基準点になるような下顎位を下顎の基本位と呼び、咬合の診断や治療の基準に使われている。患者固有の下顎位を臨床の場で具体的に定める方法にはいろいろあって、現時点でも科学的に確立されているとはいえない。しかし無歯顎者はもちろんのこと、有歯顎者でも咬合崩壊のため全歯列の修復を必要とする症例や、不正咬合に起因して顎口腔系に病的症状が発現している症例、または重度の顎変形症の咬合再構成などでは、何らかの方法または基準で下顎の基本位を定めることからはじめなければならない。これらの基本位またはその概念を総称してセントリックcentricと呼んでいる。
centricという英語は“中心の”あるいは“中心にある”といった意味をもち、中心位centric relationのように上顎と下顎の特定の対向関係を表すのに用いたり、中心咬合位のように下顎が中心位にあるときの上下顎歯の咬合を表すのに用いている。石原は下顎窩に対する顆頭の位置関係と上下顎歯列の位置関係を区別し、前者を顆頭位、後者を咬合位と呼ぶことを提案した。また近年、筋電図を用いた咀嚼筋の研究から下顎の基本位における筋活動が調べられ、筋機能を重視して求めた下顎位を筋肉位と呼んでいる。臨床ではこれら3つの下顎の基本位をどのように調和させるかが重要課題となる。
【顆頭位】
顆頭位は下顎窩内の顆頭の位置により表現される下顎位で、普通歯とは無関係に定義されている。いわゆる顆頭のセントリックで中心位、最後退位、顆頭安定位などがあり、この他靭帯位、関節包位のような用語も使われている。
<中心位>
中心位centric relationはMcCollum(1921)によって名づけられた用語である。McCollum(1921)は、顆頭を下顎窩の最後壁にぴったりとおさえつけて下顎を開閉させれば純粋な回転運動が行なわれ、このときの回転軸を咬合器の回転軸に一致させれば、咬合器上に患者の上下顎が開閉する際の下顎の回転軸を精密に再現できると考え、これを中心位と名づけた。この下顎位は今日では最後退位と呼ばれている。最後退位における下顎の回転軸はターミナル・ヒンジアキシスとなる。その後、McCollumの高弟のGranger(1962)は顆頭を下顎窩内の後方のみならず上方から固定する後上方位を主張し、同じくStuartはこれらに内側方を加え、下顎窩内で顆頭を後方と上方と内側方の3点で固定した位置(略称RUMポジション)を提案した。当時GPTでは中心位は、顆頭が下顎窩内で緊張することなく最後方に位置し、そこから自由に側方運動を行なえるときの上顎に対する下顎の位置的関係、と定義されていた。
 以後数十年にわたり、ナソロジーではRUMポジションが受けつがれてきたが、1973年に至りCelenzaにより大幅に修正された。Celenzaは、RUMポジションを付与した32症例のフルマウス・リコンストラクションの術後2~12年の咬合状態を調べ、30症例において咬頭嵌合位が0.02~0.36mmずれていることを知り、RUMポジションに疑問を抱くようになった。彼は顆頭が下顎窩内の“前上方位”にあるのが望ましいという見解を述べ、その理由を“顆頭の後方に神経と血管が豊富に分布したバイラミナゾーンがあり、また下顎窩の最深部は骨組織の層が薄く、強大な咬合力から生じる応力(ストレス)に耐えるのに適さない”としている。1985年に開催されたNewport Harbour Academyにおいて、解剖的、生理的かつ機能的に適正な顆頭位を適正顆頭位optimum condyle positionと呼ぶことが決まったが、この用語は普及しなかった。
以上の経過を経て、1987年のGPT-5で中心位は“左右の顆頭がそれぞれの下顎窩内の前上方部において、関節結節の傾斜部と対向し、かつ関節円板のもっとも薄い駆血な部分と嵌合している上下顎の位置的関係。この位置は歯の接触に依存しない。また臨床的には、下顎は前上方に向けて誘導され、かつトランスバース・ホリゾンタルアキシスの回りに純粋な回転運動を行なう範囲にとどまっているときの位置である”と定義され、GPT-6(1994)でもこの定義が受けつがれている。
なお、顆頭が前上方位にあるときの回転軸をトランスバース・ホリゾンタルアキシスと呼び、中心位がRUMポジションから上前方位に変遷されたのにともないターミナル・ヒンジアキシスが呼称変更されている。こうして、中心位の定義は前上方位へ変遷したが、前上方位の臨床的な採得法はまだ確立されていない。そのコンセプトの核心は、“下顎窩内において顆頭が生理的に適正な位置にあり、下顎が無理なく純粋な蝶番回転を行なうことができるときの患者固有の下顎の基本位”であり、それによって咬頭嵌合位の基準とすべき理想的な下顎位を求めようとする主旨である。この考え方は、今後とも変わることはないであろう。
<最後退位>
最後退位most retruded positionは、顆頭が下顎窩内で緊張することなく最後方に位置したときの下顎位である。この下顎位は当初McCollumにより中心位として定義された。最後退位における下顎の回転軸はターミナル・ヒンジアキシスになる。前上方位でトランスバース・ホリゾンタルアキシスを臨床的に採得する方法がまだ確立されていないため、現時点では上顎模型を咬合器に取りつけるためにフェイスボウ・トランスファを行なう際、実測による後方基準点はターミナル・ヒンジアキシスを用いるしかない。そのためターミナル・ヒンジアキシスを計測する顆頭位として最後退位は臨床的意義を失ってはいない。
トランスバース・ホリゾンタルアキシスの位置誤差が、セントリックの再現に無視できない影響を及ぼすことはよく知られている。後方基準点に平均値を用いたときに実測値との間に生じる位置誤差は最大±5mm前後とされている。トランスバース・ホリゾンタルアキシスに±5mmの位置誤差があるとき、厚さ3mmのセントリック・バイトを用いて下顎模型をマウントし、その位置から咬合器を閉じると咬合位に最大400μmの無視できないずれを生じる(保母、高山 1995)。したがって開口位でバイトを採得する場合は、フェイスボウ・トランスファにおける後方基準点は平均値ではなく、実測値を用いなければならない。しかし上述したようにトランスバース・ホリゾンタルアキシスを臨床的に求める方法は存在しないので後方基準点を実測するときは、顆頭を関節窩の最後退位におしこみ接面回転を生じさせる必要がある。そのためオトガイ誘導法を用いることになり、これによって求められる水平基準軸はターミナル・ヒンジアキシスであり、トランスバース・ホリゾンタルアキシスではない。
一方、セントリック・バイトの採得は、アンテリア・ジグやリーフ・ゲージを用いた前上方位で行なわれ、このときの水平基準軸はトランスバース・ホリゾンタルアキシスとなる。その結果、ターミナル・ヒンジアキシスでマウントした上顎模型に対して、トランスバース・ホリゾンタルアキシスを用いて採得したセントリック・バイトで下顎模型をマウントすることになり、2つの水平基準軸を混用する結果となる。両者の差が誤差となって咬合位のずれを生じることが考えられるが、2つの水平基準軸を生じる顆頭の位置の差は平均0.25~0.30mmであり(保母、岩田 1984)、この大きさの計測誤差による影響は3mmの開口位でセントリック・バイトを採得したとして、中心位で最大24μm、偏心運動時における咬頭路では6μm前後にすぎない(保母、高山 1995)。したがって、セントリック・バイトを採得するときに2つの水平基準軸を用いることによる咬合位のずれは無視できる。
<顆頭安定位>
顆頭安定位は、顆頭が関節窩のなかで緊張なく安定する位置と定義され、石原、大石(1967)によって名づけられた。病理解剖により摘出した新鮮な顎関節を保持し、下顎骨を手指で軽く上方に押してゆくと、顆頭は下顎窩のなかで無理なく安定した位置におさまり、この下顎位が上下顎歯列の咬頭嵌合位と一致した(大石 1967)。この位置は前後的に0.3mm、上下的に0.1mm程度の自由度があるが、咬頭嵌合位が不明確なものや無歯顎者ではその幅が大きい(川畑 1971)。石原(1972)は顆頭安定位では顆頭は最後退位よりも平均4mm前上方に位置すると述べている。これ以前には咬頭嵌合位における顆頭の位置を適切に表現できなかったが、顆頭安定位という用語により歯の接触位と顆頭位とが結びつけられるようになった。
河野(1968)は、明確な咬頭嵌合位をもつ被験者に矢状面内であらゆる下顎運動を行なわせ、マルチフラッシュ装置を用いて切歯点前方の2点の運動を測定し、切歯点の運動範囲に対応する顆頭付近の各点の運動路をコンピュータにより算出した。その結果、描かれた多数のループ状運動路のなかに、ループの上下幅が0.7mm程度のごく狭い帯状の運動路を示す特定点が、顆頭上に存在することがわかった。石原、河野(1968)はこの軸を全運動軸kinematic axisと名づけた。全運動軸の最後上方位置は顆頭安定位とみなせるが、この軸の存在は矢状面内の下顎運動が、平行移動translationと回転rotationに分解できることを示している。河野(1996)は顆頭安定位を採得するとき、約10mmのストロークのタッピングを行なわせるように推奨している。
<ロング・セントリック>
ロング・セントリックlong centricは、中心位と咬頭嵌合位との間に咬合高径の変化をともなわない前後的な自由域をもつようなセントリックをいう。GPT-6ではlong centricは不適切用語とされ、代わりにintercuspal contact area(咬頭嵌合接触域)という用語が用いられ、咬頭嵌合位における歯の接触の範囲と定義されている。
Posselt(1952)は最後退位と咬頭嵌合位の一致する症例はたった12%だけで、残りの88%の成人では両者間に1.25±1.0mmのずれが検出されたと報告している。Schuyler(1959)は安静位から咬頭嵌合位に至る習慣的な開口路は最後退位の約1mm前方に存在すると述べ、習慣的に使う咬頭嵌合位は中心位の1mm前方に設定すべきであると主張した。Schuylerは最後退位と咬頭嵌合位の間のずれを生理的なものと考え、両者の間に咬合高径の変化をともなわない前後的な幅をもたせるロング・セントリックを提唱した。
Schuylerにより提示された1.0mmという幅は、その後Ramfjordの0.5mm~0.8mm(1971)から0.3mm~0.5mm(1981)、Dawson(1974)による平均0.2mmへとせばめられた。現在、最後退位と咬頭嵌合位の間のずれについては約0.2mmという値が一般に合意されている。
<下顎誘導法と顆頭位>
中心位の咬合採得時の下顎の誘導法については種々議論されてきたが、RUMポジションから前上方位への移行にともない、顆頭を下顎窩の“最後方”に位置づけて最後退位を求めるオトガイ誘導法は支持されなくなり、“最上前方”に位置づけるバイラテラル法やスリーフィンガー法がとって代わるようになった。さらに最近では咬頭干渉を解除した状態で挙上筋(開口筋)の作用により顆頭を下顎窩の前上方に保持するリーフ・ゲージ法が注目されている。この他、筋の自然な機能にまかせ、術者による誘導なしに下顎を閉口するアンガイド法にもまだ根強い支持がある。河野(1996)が推奨している約10mmのストロークを用いた顆頭安定位の採得法もアンガイド法のひとつであろう。
保母、岩田(1984)は電子計測により、バイラテラル法ないしスリーフィンガー法、オトガイ誘導法およびアンガイド法の3つの方法で求めた顆頭中心の相対的位置関係を調べた。その結果、バイラテラル法ないしスリーフィンガー法によって求めた顆頭位はアンガイド法によって得られたそれに対し平均して前方へ0.05mm、上方へ0.04mmの位置にあるもののt検定による有意差はないことがわかった。一方、オトガイ誘導法の顆頭位はバイラテラル法ないしスリーフィンガー法およびアンガイド法の顆頭位に対し、平均してそれぞれ後方へ0.30および0.25mm、下方へ0.10および0.06mmの位置にあり、t検定の結果も有意水準p<0.01で有意であった。前後的な差の0.30mmという値は、中心位と咬頭嵌合位の差についてRamfjordやCelenzaによる見解ともよく合っている。以上の結果は、オトガイ誘導法では顆頭を下顎窩の最後方に位置づけるため、バイラミナゾーンに異常な圧力を加えるおそれがあり、生理的でないというCelenzaの見解を裏づけるものといえよう。
【咬合位】
咬合位occlusal positionは、上下顎歯の接触状態によって表現される下顎位で、咬頭嵌合位、習慣性咬合位、後方歯の接触位などがある。GPT-6では、下顎が閉口し、かつ上下顎歯が接触したときの上下顎の位置的関係で、中心咬合位と一致することもあり一致しないこともあると定義されているが、不適切用語となっている。
<咬頭嵌合位>
咬頭嵌合位maximum intercuspationは、上下顎の相対する咬頭と斜面が最大面積で接触し、咬頭が密接に嵌合し安定した咬合位をいう。GPT-6では、顆頭位とはかかわりなく対合歯が完全に嵌合した状態と定義されている。従来intercuspal positionと呼ばれてきたが、GPT-6でmaximum intercuspationに呼称変更された。この用語は直訳すると最大嵌合位となるが、和訳では混乱を避ける趣旨で従来どおり咬頭嵌合位を用いることにした。健全歯列者ではきわめて安定しており、再現性に富んでいる。しかし、咬頭嵌合位は上下顎の歯列によって決定されるため、不正咬合による歯や歯列の位置異常、咬耗、動揺、欠損の有無など、さまざまな条件により左右される特性をもっている。咬頭嵌合位の偏位は顎関節の病的・器質的な変化や咀嚼の終末位の垂直的・水平的なずれを招く可能性を秘めている。
<中心咬合位>
中心咬合位centric occlusionは下顎が中心位にあるときの咬合位をいう。GPT-6では、下顎が中心位にあるときの対向する歯の咬合位で、咬頭嵌合位と一致することも一致しないこともある、と定義されている。中心位に発現する咬合接触によって咬頭嵌合位がずれるような状態を中心位の早期接触と呼び、咀嚼筋や顎関節の病変を招くおそれがあるとされている。
<習慣性咬合位>
習慣性咬合位habitual occlusionは、習慣性閉口運動の終末位で、GPT-6では咬頭嵌合位と同義語としている。Glickman(1969)によって使われた用語で、Glickmanはテレメータを使った実験で、咀嚼運動の終末が、この咬合位に帰着することを確認している。
<後退咬合接触位>
後退咬合接触位retruded contact positionは、下顎が最後退位にあるときの咬合位をいう。GPT-6では、顆頭が顎関節内の最後退位置にあるときに発現する誘導された咬合位、中心位より後方に位置することがある、と定義されている。
【筋肉位】
筋肉位は、筋活動の状態によって表現される下顎位で、筋がもっとも効率よく機能することを主眼として定められたものである。安静位、姿勢維持位、嚥下位、マイオセントリックなどがある。
<安静位>
安静位physiologic rest positionは、呼吸や精神状態を安静にして、直立または正しい姿勢で腰かけて、前方を直視したときにみられる筋肉位である。GPT-6では、直立に楽に腰かけて関連筋が最小の緊張状態にあるときの姿勢位と定義されている。安静位は下顎に加わる重力と咀嚼筋の緊張とのつり合いによって決定されるため、体位や頭位によって影響を受けやすい。従来から安静位は位置的によく安定しているとされ、総義歯の垂直顎間距離の決定などに用いられてきた。しかし筋電図による研究から安静位にはかなり変動があることが明らかにされ、下顎の基本位としての意義が薄れてきた。
<姿勢位>
姿勢(維持)位postural positionは、ヒトが正常な姿勢で直立または腰をかけているときにみられる筋肉位で、安静位とほぼ同義に使われている。GPT-6では最小の緊張(収縮)状態における下顎位と定義されている。Posselt(1962)は、安静位が身体の姿勢を決定するのと同じ機構により決定されることから、姿勢維持位という用語をすすめている。
<嚥下位>
嚥下位は、嚥下運動時にみられる筋機能位である。嚥下は一連の筋活動によって達成されるため重視されている。嚥下時の歯の接触を詳細に観察した報告によると、はじめ咬頭嵌合位の後下方で上下顎歯が接触したあと、下顎は接触滑走して0.2mmほど前方に移動し、最終的に咬頭嵌合位に到達する。
<マイオセントリック>
マイオセントリックmyocentiricは、マイオモニタによって、咀嚼筋と関連筋が適当な電気的刺激を受けたときに得られる筋肉位である。Jankelsonら(1975)はマイオセントリックは生まれながらの位置innate positionで、機能的にもっとも合理的な下顎位であるとしている。しかし、マイオセントリックが最後退位の前方に1.4mm、下方に1.6mm、また咬頭嵌合位の前方に0.9mm、下方に1.1mmに位置することが明らかにされたため(Lundeen 1974)、マイオセントリックは電気的な刺激によってつくり出される人為的な下顎位であるといった見解が浸透し、今日マイオセントリックを推奨する人は少ない。しかしマイオモニタの効果については一部の臨床家の間に定評があり、筋を弛緩させてから下顎位(筋肉位)を決めるという考え方には非常に興味深いものがある(Flocken 1984)。