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臼歯離開

【読み】
きゅうしりかい
【英語】
Disocclusion
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
下顎の偏心運動時に上下顎の対合咬頭が接触滑走せずに離開すること。GPT-6では、下顎の偏心運動中に対合歯が離開することと定義されている。下顎の偏心運動時に発生する水平圧は天然臼歯に非生理的な応力(ストレス)を加えるため有害視され、この応力の分散を目指すという観点から臼歯離開の概念は歯科医学に定着してきた。今日、臼歯離開は偏心運動時の咬合様式を区分する際のキーワードとなっている。
【臼歯離開と咬合様式】
偏心運動時の咬合様式は、水平圧の分散のさせ方により生ずる臼歯の接触状態により、バランスド・オクルージョン、グループ・ファンクション、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの3つに分類されている。
バランスド・オクルージョンbalanced articulationは古くから総義歯に適用され、その後、有歯顎にも用いられるようになった咬合様式で、偏心運動中にすべての上下顎臼歯を接触滑走させて水平圧をなるべく多くの歯に分配させようとするものである。両側臼歯の常時接触を意図するためbilateral balanceとも呼ばれる。矢状面内でバランスド・オクルージョンをつくり出すには、咬合器の切歯路を顆路と平行に設定し、補綴物の咬頭傾斜を両者に平行に形成すれば実現できる。このため前方運動のように、2次元的な運動でバランスド・オクルージョンを付与するのは比較的容易である。しかし3次元的な運動である側方運動においてバランスド・オクルージョンを付与するのは困難である。
下顎は逆さにした三脚にたとえられる。その3次元的位置は左右の顆頭中心と切歯点の3点によって定まる。しかしバランスド・オクルージョンでは2つの顆頭中心の他に左右両側歯列の歯の接触が必要となり、計4つの制約条件を包蔵することになる。これは下顎を机にたとえると、3本足の机はすぐ床の上に安定するが、4本足の机は足先を精確に切りそろえないと安定しないことに相当する。しかもこの場合には左右両側にある2本の足は咬頭の数に相当する指をもっている。バランスド・オクルージョンを付与するためにはそれぞれの指を精密に切りそろえなければならない。したがってその実現はきわめて困難で、無理に付与しようとすると咬合面の頬舌径が異常に広くなったり、あるいは咬頭が極端に高くなったりして、そのような補綴物を口腔内に装着すると為害作用を生じることが確認されている。
Schuyler(1959)はグループ・ファンクションド・オクルージョンgroup functioned occlusionを提唱し、犬歯を含む作業側の全歯に咬合力を分散させることを提唱した。これはunilateral balanceとも呼ばれ、天然にもっとも広く存在する咬合様式とされてきた。しかし天然歯列において作業側の全歯が接触滑走する症例は全体の8%にすぎないことが判明した(保母、高山 1993)。Schuylerは側方運動時に作業側のすべての歯を接触滑走させ非作業側の歯を離開させるように提唱しているが、これは机のたとえでいうと、3本足の机に相当する。この場合、前方の足が1本のようにみえるがこの1本の足が作業側の歯の数に相当する指をもっている。片側だけとはいえ天然歯列でこれらの指がすべて整然とそろっていることは稀であろう。このように考えると天然歯列で作業側のすべての歯が接触滑走する例が8%しかみられないのは当然であることがわかる。そのためこの咬合を補綴物に付与するのは実際には困難である。
以上の状況を反映して最近ではグループ・ファンクションド・オクルージョンの定義が変更され、GPT-5(1987)では“側方運動時に作業側の(犬歯を含む)上下顎2歯以上が同時接触multiple contactsする関係にあり、それらの歯がグループとして咬合力を分散される咬合様式”と定義され、呼称もグループ・ファンクションgroup functionと変わった。この定義によると作業側の歯の大半は臼歯離開をしてもさしつかえないということになる。一方非作業側のクロス・アーチ・バランスを禁忌とするSchuylerの指摘は現在でも有効である。したがって新しいグループ・ファンクションの定義は作業側臼歯が接触滑走する状態というよりは、側方運動時に作業側の臼歯の一部を除きほとんどの歯が離開している状態となり、次に述べるミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの定義に限りなく近づいたといえよう。
D’Amico(1958)は、原始人やプレホワイト・インディアンの頭蓋骨について広範な人類学的調査を行なった。彼らの歯列には極端な咬耗と切端咬合がみられるのに対し、大きな犬歯をもつ類人猿では偏心運動中に上下顎の臼歯は離開するため臼歯の咬頭は健常な状態に維持されている。そして咬耗による咬合の破壊を予防するために自然の与えた適応形態が、犬歯誘導canine protected articulationと臼歯離開disocclusionであるという学説を発表した。
犬歯誘導では側方運動時に作業側の犬歯が下顎運動をガイドし、作業側と非作業側の全臼歯を離開させる。その結果、下顎は2つの顆頭と作業側の犬歯からなる3本の足によって誘導されることになり、補綴作業もきわめて容易になった。こうしてD’Amicoによって天然歯列における犬歯誘導と臼歯離開の意義が指摘され、それによって生じる臼歯咬頭の保護機能が注目されるようになった。この咬合様式はのちにミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンmutually protected articulationとして完成される。
ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンは、Schuylerのグループ・ファンクションド・オクルージョンとほぼ時を同じくしてStallardとStuart(1963)により提唱された咬合様式で、GPT-5(1987)では“咬頭嵌合位maximum intercuspationでは臼歯が前歯の過度の接触を防止し、かつ下顎のすべての偏心運動時に前歯が臼歯を離開させる咬合様式”と定義されている。犬歯誘導は“ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの一形態で、犬歯の垂直並びに水平的被蓋が下顎の偏心運動時に臼歯を離開する咬合様式”と定義されている。具体的には側方運動時に上顎犬歯の口蓋面を下顎犬歯の尖頭および下顎第1小臼歯の頬側咬頭の近心斜面が接触滑走する様式である。ちなみに前歯の接触面が上下顎歯接触滑走時の下顎運動に及ぼす作用は前歯誘導anterior guidanceと呼ばれている(GPT-5)。
こうして臼歯離開の概念は歯科医学に定着したが、その定性的ならびに定量的解析はまったくといってよいほど行なわれていない。
【臼歯離開量】
偏心運動時に上下顎の臼歯を接触滑走させるというバランスド・オクルージョンの考え方は今日ではほとんど支持されなくなり、少なくとも非作業側の臼歯は接触滑走させずに離開させなければならないということは世界的な通念となっている。それではどれだけ臼歯を離開させればよいかについては明確にされていない。臨床では、口腔内でも咬合器上でも、咬頭干渉が認められたらその部位を削除すればよいとするのが一般的な傾向のようである。いい変えると、上下顎歯の咬頭は偏心運動時に衝突さえしなければよいということになる。上下顎歯をぎりぎりの状態で接触滑走させるのは、航空機にたとえるとニア・ミスの状態に相当し、危険ではないかと考えられる。臼歯離開量が天然歯列においてどのくらいの値になっているか記述した文献はほとんどない。Shooshan(1960)とScottら(1964)はそれぞれ側方運動時の非作業側臼歯間に少なくとも0.5mm以上の離開が必要であると述べ、またThomas(1967)は側方運動時に上下顎臼歯が尖頭対尖頭の関係をとるとき上下顎咬頭頂は1mm離開しなければならないと教えているが、臼歯離開量の具体的な数値は不明である。
臼歯離開量の値を知るため、はじめにシリコーン印象材を用い、直接口腔内で第1大臼歯における臼歯離開量の予備的計測を行なった。咬合器上で顆頭球が2mm移動したときの前歯の圧痕をマークしたシリコーン・バイトをガイドとして患者に偏心運動を行なわせ、そのときの左右臼歯部の印象を採得したシリコーンコアを裁断して、その厚みを目盛りつき拡大鏡で測定した。前方運動時と側方運動時の非作業側および作業側の臼歯離開量はそれぞれ全臼歯平均1.06mm、1.00mm、0.47mmであった(保母、高山 1985、93)。ちなみに西尾ら(1986)のデータもこれに近似した値を示している。
次にリーフ・ゲージを用い咬合器上にマウントした歯列模型上で臼歯離開量の計測を行なった。咬合器の顆頭球を3mm移動させたとき各偏心位の上下顎臼歯間に1枚の厚さが0.1mmのリーフ・ゲージを挿入し、リーフ・ゲージを引き抜けなくなったときの枚数により臼歯離開量を計測した。前方運動時と側方運動時の非作業側および作業側の臼歯離開量はそれぞれ平均1.06mm、1.10mm、0.41mmであった(原元ら 1993、星野ら 1993、保母、高山 1993)。なお小数点以下2桁目のデータは統計処理により求めた。
上記の2つの臼歯離開量の計測ではそれぞれ異なる計測方法が用いられている。シリコーン印象材を用いた計測は細密な測定が可能である反面、日常臨床の場で歯科医が臼歯離開の定量的診査を行なうには煩雑にすぎる欠点がある。従来臼歯離開量の定義はなされておらず、その大小は歯科医の目視による主観的判断により判定されてきた。計測法の選択は被計測量の定義にかかわる一面があるが、臨床応用を目的とする場合には、多少の厳密さを犠牲にしても、だれでも比較的手軽に測定できるような方法を選択するのが賢明と考えられる。リーフ・ゲージを用いた計測はシリコーン印象材を用いる場合に比べはるかに簡便で臨床応用に適している。頬側からの目視による判定は舌側の臼歯離開状況の判定に誤差が生じやすいが、リーフ・ゲージによる計測はゲージを挿入した部位の臼歯離開量の最小値を検知できる利点がある。
臼歯離開量は偏心運動の大きさにほぼ比例するが、上述した2つの計測において、シリコーン印象材を用いた計測では顆頭の移動量を3mmとし、リーフ・ゲージを用いた計測では4mmに変更したにもかかわらず、ほとんど同じ計測結果が得られた。これは、1)シリコーン印象材が変形自在であるのに対しリーフ・ゲージはシート状で可撓性に制約があること、2)シリコーン印象材による計測ではシリコーンコアの裁断位置により臼歯離開量の最小点が得られない可能性があるのに対し、リーフ・ゲージによる計測ではリーフ・ゲージを挿入した部位の臼歯離開量の最小値が検知できること、3)シリコーン印象材による予備的計測では第1大臼歯だけを測定したが、リーフ・ゲージによる計測では比較的臼歯離開量の小さい小臼歯と第2大臼歯を加えて全臼歯を平均したなどの理由によると考えられる。
これらのデータから臼歯離開量の標準値として、前方運動で約1.0mm、側方運動の非作業側で約1.0mm、作業側では約0.5mmという値が設定された(保母ら 1995)。後者は前2者のほぼ2分の1になる。
【臼歯離開のメカニズム】
次に臼歯離開のメカニズムを概説する。
1)前方運動時に矢状顆路傾斜度が標準値(40度)をとり、顆路と切歯路が平行で、かつ上下顎臼歯の咬頭傾斜角も両者に平行な場合、下顎は顆頭間軸の回りに回転することなく平行移動のみ行なう。この状態では上下顎臼歯は偏心運動中常に接触滑走するから臼歯離開は生じない。
2)前方運動時に矢状顆路傾斜度が標準値(40度)をとり、顆路と咬頭傾斜角は平行だが、切歯路が顆路に比べ急な値をとった場合、下顎は平行移動の他に顆頭間軸の回りに回転を行ない、上下顎臼歯はわずかに離開する。このように切歯路が顆路より急なことによって生じた臼歯離開量成分を、臼歯離開メカニズムの“前歯誘導分”と呼ぶ。McHorris(1979)は切歯路を顆路より5度急にすることを推奨している。これにより前歯誘導成分が得られ臼歯は離開するが、顆路よりも切歯路を5度急にすることによって得られる前方運動時の臼歯離開量をコンピュータを用い計算したところ、約0.2mmであることがわかった。これでは前方運動時の標準的な臼歯離開量約1.0mmの5分の1にすぎない。McHorrisによると切歯路を顆路より5度以上急にして臼歯離開を大きくしようとすると、患者は不快を訴えるということである。したがって臼歯離開量0.8mm分については他の成分を考えなければならない。
3)前方運動時に矢状顆路傾斜度が標準値(40度)をとり、顆路と切歯路は平行だが、咬頭傾斜角が顆路に比べ緩やかな値(たとえば25度)をとった場合、下顎は顆頭間軸の回りに回転することなく平行移動のみ行なう。しかし咬頭傾斜角が顆路よりも緩やかなため上下顎臼歯は大きく離開する。このように咬頭傾斜角が顆路よりも緩やかなことによって生じた臼歯離開量成分は約0.8mmとなり、これを、臼歯離開メカニズムの“咬頭形態成分”と呼んでいる。以上から顆路と切歯路以外の要因として、咬頭傾斜を考えなければならないことがわかった。
顆路と切歯路が平行な場合、対合歯の咬頭傾斜角を緩くすれば、偏心運動時に咬頭路と対合歯の咬頭傾斜角は扇のように開き、上下顎臼歯の咬頭は離開する。以上から標準的なヒトの顆路と切歯路の傾斜の平均値がそれぞれ40度および45度であるのに対し、人工歯の咬頭傾斜角が20~30度になっているのは合理的であると推察された。したがって臼歯離開を得るためには顆路や切歯路に比べ咬頭傾斜角が緩やかになるように補綴物の咬合面を製作すればよいということになる。以上により、臼歯離開の発現メカニズムには、前歯誘導成分と、咬頭形態成分の2つが寄与していることがわかった。
4)前方運動時に矢状顆路傾斜度が標準値(40度)をとり、切歯路が顆路と比べ急な値(45度)をとり、かつ咬頭傾斜角が顆路に比べ緩やかな値(25度)をとった場合、下顎は平行移動とともに顆頭間軸の回りに回転する。そして下顎の顆頭間軸の回りの回転による前歯誘導成分と咬頭傾斜角が顆路より緩やかなことによる咬頭形態成分の相加作用によって、上下顎臼歯は大きく離開する。この状態は健常者の歯列に多く観察される。
【臼歯離開の必要理由】
最近の電子的計測と理論的解析の結果、臼歯離開の必要理由は顆路のぶれと切歯路のバラツキが最大値をとっても咬頭干渉が生じないための生物学的安全保障メカニズムであることが定量的に解明されている(保母、高山 1995)。