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咬合の進化

【読み】
こうごうのしんか
【英語】
The evolution of the human occlusion
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
ヒトが今日のような咬合を備えるようになった理由は、人類学的な見地から検討されなければならない。サルとヒトの共通の祖先と考えられる“化石のサル”は比較的大きな犬歯をもっていたと想像される。この“化石のサル”が進化してヒト的特徴を備えるようになると、犬歯は小さくなり、その歯列には極端な切端咬合と咬耗が現われる。この特徴は200万年前のaustralopithecus以来、2000年前の弥生時代の人に至るまで、すべての原始人が共通して備えている。一方“化石のサル”から分化した他の子孫である今日の類人猿は大きな犬歯をもち、開閉運動以外の運動を行なわない。その歯列には原始人のような咬耗はみられない。
原始人が極端な切端咬合と咬耗を備えたのは、彼らが雑食性で、硬い生肉や草木を無理して咀嚼したためと思われる。雑食するためには、下顎を水平的に動かさなければならない。そのため雑食に適応できるように原始人の犬歯は退化したのであろう。今日の類人猿は“化石のサル”の時代とあまり変わらない食生活を営んでいる。柔らかい果物を食べるには下顎は開閉運動を営めば十分だから、類人猿の犬歯は小さくならなかったのであろう。そのため彼らの臼歯は保護され、咬頭は原型を保っている。現代人は、日常果物に準ずるような柔らかい食物を摂取しているので、咀嚼時にあまり過度な水平運動を必要としないが、何10万代にもわたって硬い食物を無理して咀嚼する習癖が定着しているため、どうしても不必要に水平運動を行なう傾向がある。そのため臼歯が咬耗されやすく、これが咬合障害をつくる1つの原因となっている。
このような臼歯の咬耗を未然に防ぐのが犬歯の役割りである。犬歯が偏心運動時にいちはやく接触して、類人猿にみられるように臼歯を離開してくれれば、臼歯は咬耗から守られる。こうした犬歯の役割りを重視した咬合様式をミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンと呼び、天然歯の理想咬合と考えられている。
【ヒトの進化の歩み】
脊椎動物であるヒトの祖先は、約5億年前に魚類として水中生活を営んでいた。この魚類のなかのあるものが、両生類に似た特徴を備えるようになり、しばしば陸にあがるうちに、ついに確実に陸上生活に適応するようになったと考えられている。このようにして約2億5000万年前に原始的な爬虫類が誕生した。その後、適応と放散をくり返し、より進化した新系統が発生し、多種多様な爬虫類が生まれた。このようにして誕生した爬虫類のあるものは、その後、原始哺乳類への進化の橋渡しを演じ、哺乳類様爬虫類mammal like reptoriaが出現する糸口をつくった。これがやがて人類に進化するのであるが、このような進化は常にその動物のもっとも原始的なタイプによって行なわれた。次に魚類からヒトまでの進化のようすを脊椎動物に視野をしぼって述べる。
【魚類から爬虫類までの進化】
もっとも原始的な脊椎動物は無脊椎動物から進化したと思われる。脊椎動物中の魚類と両生類が栄えた時代を古生代paleozoic era(約5億年前~2億年前)と呼んでいる。古生代のはじめのカンブリア紀cambrian period(約5億年前~4億5000万年前)がはじまるころ、脊椎動物である魚類がこの世にはじめて姿を現わした。最初の魚類は円口類に属する下等なものであった。円口類はやがて軟骨魚類と硬骨魚類に分かれ、さらに硬骨魚類は内鼻孔魚類と真口魚類に分かれた。われわれが知っている一般の魚類は真口魚類に属している。一方、内鼻孔魚類は肺呼吸をする能力を有しており、これが後に両生類の祖先を誕生させることになる。古生代の末期、石炭紀carboniferous(約2億6000万年前~2億1000万年前)から二畳紀permian(約2億1000万年前~2億年前)にかけて、内鼻孔魚類から原始両生類が生まれた。彼らは現生両生類の祖先であると同時に、原始爬虫類の祖先でもあった。
【爬虫類から哺乳類までの進化】
原始爬虫類から進化した爬虫類reptoriaは中生代mesozoic Era(約2億年前~7800万年前)を通じて繁栄した。中生代は爬虫類がとくに栄えた時代である。爬虫類には、5つの亜綱があるが、そのうちの1つである低窩亜綱のなかの獣形目哺乳類様爬虫類(MLR)の祖先と考えられている哺乳類様爬虫類は、解剖学的、生理学的な点で、爬虫類から哺乳類への移行過程にあったと思われ、哺乳類の起源と考えられている。最初の哺乳類は、中生代中期のジュラ紀に現われたが、古生代末期の二畳紀には、すでに哺乳類様爬虫類が現われていたようである。前にも述べたように、この哺乳類様爬虫類は、原始哺乳類への進化の橋渡しを演じた。
爬虫類とヒトでは、形態のうえであまりにも隔たりがありすぎて、親近感がわきにくいかも知れないが、両者の間には関連性がある。哺乳類の生理学的あるいは解剖学的特徴は、爬虫類から進化したものであり、このことは哺乳類様爬虫類を観察すれば明らかである。たとえば硬組織の変化はそのよい例である。
四肢の骨、脊椎、頭蓋、顎関節、そして歯などが爬虫類のタイプから哺乳類のタイプと変化していく過程は、ある程度、後期の哺乳類様爬虫類で示され、しかもその過程がある限られた範囲で、哺乳類の胎児の発生中にもくり返されているのは周知のことである。
【原始哺乳類から霊長類までの進化】
地質時代のうち、脊椎動物に関係する年代は約5億年前の古生代であった。この時代は脊椎動物中の魚類と両生類がとくに栄えた時代である。約2億年前の中生代になると爬虫類が栄え、そして約7800万年前の新生代になると哺乳類が栄えるようになる。もっとも原始的な哺乳類は中生代末期から新生代にかけて生息していた、原始突起歯動物に似たものと考えられている。その骨格は不明であるが、おそらく原始的な胎盤をもち、手指は5指形で、歯列は原始的な食虫類と同じようなものであったと想像される。新生代(第3紀の始新世5500万年前)になると、レムールの祖先によく似た原始的な哺乳類が現われ、その骨格はぶらさがったり、とびはねたりするのに適していた。頭蓋はノタルクトゥスに似ており、歯列は雑食に適していた。
新生代第3紀の漸新世(3400万年前)の前期には、狭鼻猿の祖先と考えられる霊長類が現われた。この狭鼻猿の祖先は、坐骨ですわる能力をもち、食物の捕獲に“手”を使用できたようである。この習慣の獲得により、口や歯が食物を捕獲することから解放されるようになった。頭蓋と脊椎がなす角度は、哺乳類では180度であるが、この動物の場合は135度をなし、そのため頭の位置が変わり、視覚と聴覚を司どる器官を発達させる原因となった。サルの祖先と思われるこの動物の歯式は、現在の霊長類と同様に2123/2123である。しかしその歯は、今日のサルや類人猿(ゴリラやチンパンジー)と対照的にきわめて小さなサイズしか有していない。
新生代第3紀の中新世、鮮新世(約2500万年前ないし1200万年前)に、類人猿の祖先と考えられる霊長類が現われた。この霊長類が現存する類人猿とヒトとの共通の祖先であることが、その運動性の骨格から証明されている。彼らはものを把握する能力を有し、さらに直立したり、背すじを伸ばしてすわるなど、その姿勢が高度に発達していたようである。地上においては、もはや4足歩行を営まず、ナックル・ウォーキングと呼ばれる、より高度な歩行様式を獲得していた。
【化石のサルと化石のヒト】
ヒトの進化をよく理解するためには、系統的類縁関係にある他の類人亜目についての知識が必要である。この亜目には、いわゆる“サル”である、新世界ザルnew world monkeyと旧世界ザルold world monkeyが含まれるが、これらはヒトの進化と直接の関係がないので、ここではただちにテナガザル科、類人猿科、ヒト科を含む類人類hominoideaの化石について説明する。
類人類には、非人類的類人類と人類とがある。前者はヒトではないが、ヒトを理解するための重要な資料になる。非人類的類人類は、現生の大型類人猿によく似た動物で、その顔面は眉間glabellaからおろした垂線外に、上下顎が突き出した“突顎”と呼ばれる特徴ある顔貌をもっている。
臼歯には前ドリオピテクス形式predryopithecus patternまたはドリオピテクス形式dryopithecus patternがみられる。その他に歯隙diastemaがみられ、強い眼窩上隆起を有するといった特徴を備えている。脳頭骨容積は一般に500ml以下である。
非人類的類人類には、パラピテクス科parapithecidea、テナガザル科hylobatidae、および類人猿科pongidaeが含まれる。パラピテクス科の化石であるparapithecusの歯式は2123/2123で、この動物は現生のテナガザルの祖先と考えられている。その歯は、すでに現生類人猿とヒトの祖型としての特徴を備えている。類人猿科の化石であるdryopithecusのグループは、現生大型類人猿(ゴリラやチンパンジー)の絶滅した祖先と考えられている。なかでもインドのシワリク丘で発掘されたramapithecusはその歯の形状からいっても、もっとも人類祖型としての特徴が著明であるといわれている。これらの“化石のサル”は、1000万ないし2000万年以前、地質時代でいうと中新世mioceneから鮮新世plioceneにかけて生存していたと考えられている。
人類科に属する“化石のヒト”は、類人猿と人類を結ぶmissing linkとして貴重な資料となっている。1925年にDartによってaustralopithecus africanusの化石が南アフリカのTaungsで発見され、つづいて、1936年にはBroomによって、plesianthropus transvaalensisの化石が同じく南アフリカのSterkfonteinで発見された。今日までに35個以上の骨格と2000本以上の歯が出土された。
1959年、Leakey夫妻によって、東南アフリカのOlduvaiで発見されたjinjanthropus boiseiには、頭蓋の頂に、ゴリラに類似した矢状稜sagittal crestがみられ、長大な咀嚼筋を保持していたことがわかる。また、jinjanthropusは、類人猿に比較し顎の突出が軽度であり、犬歯もヒト的であった。その臼歯はヒトの約2倍程度の大きさを有するが、犬歯と切歯がヒトよりも小さいという特異な形態を備えている。その上顎大臼歯は4咬頭性で第2大臼歯と第3大臼歯がとくに大きい。下顎大臼歯の解剖形態は、類人猿の祖先といわれるdryopithecusが有していた形態dryopithecus patternに分類される。これらaustralopithecinae(オーストラロピテクス亜科)に属するものには、他にparanthropus robustusやparanthropus crassidensが含まれるが、いずれもアフリカの南部または東南部で発見された化石標本であり、頭骨、ことに顔面にはいまだ類人猿的特徴が著しいにもかかわらず、骨盤の形状には直立した証拠がはっきりと認められた。
脳頭骨容積は最低450mlから最高700mlで、その平均は600mlとされ、ゴリラよりはやや人類に近く、前人類としてヒト科に分類されている。彼らの化石は洪積世pleistoceneの地層から発掘され、生息していた年代は、100万年前とも、また200万年前ともいわれるが定説はない。直立の証拠があっても、脳頭骨容積が1000mlに満たないため、australopithecusなどを前人類prehomininaeに分類するとすれば、family hominidae(ヒト科)には、もうひとつの進化している亜科が存在するのではないかと考えられ、脳頭骨容積が1000ml前後で、直立の証拠のあるものが、それである。彼らは真正人類euhomininaeと呼ばれ、前人類prehomininaeから区別して分類されている。真正人類は一般に原人、旧人、新人に分けられ、原人にはpithecanthropus、sinanthropus、旧人にはhomo neanderthalensis、新人にはhomo sapiensなどがある。
pithecanthropus、sinanthropusなどの原人が直立していたことは確認されており、彼らは知られる限りでは、もっとも原始的な真正人類である。前期旧石器時代の人類で、pithecanthropus erectusは、70万年ないし55万年前に生存していたと考えられている。ジャワのトリニールで最初の化石が発見されて以来、現在までに4体の頭蓋骨、3個の下顎骨、1個の上顎骨そして3本の歯が発掘されている。pithecanthropus erectusは、顎の突出が著明であり、歯列についていえば、多くはU字型ないし放物線型で、約6mm前後のディアステーマを有している。その大臼歯は第3、第2、第1の順に大きく、下顎大臼歯は5咬頭性のドリオピテクス形式を示し、犬歯は咬耗しているが、ほぼヒト的で類人猿のように巨大なものではない。sinanthropus pekinensisは45万ないし40万年前に生存していたヒトと考えられ、北京郊外の周口店で発見された。14体の頭蓋骨、6個の顔面骨、12個の下顎骨、147本の歯が現在までに発見されている。顎の突出度は著明であるがディアステーマは欠如している。大臼歯は歯髄腔がはなはだ広く牛歯型(taurodont)で、上顎大臼歯は第1、第2、第3の順にまた下顎大臼歯は第2、第3、第1の順に大きい。そして下顎大臼歯は5~6咬頭を有し、また上顎切歯はショベル型を呈している。
旧人は約10万年前から3万5000年前までに生息していた人類で、homo neanderthalensisと名づけられている。彼らはその形質から考え寒冷適応を示すグループと、そうでないグループに分けられている。前者は典型的ネアンデルタール人the classic neanderthaloidと呼ばれ、後者は進歩的ネアンデルタール人the progressive neanderthaloidと呼ばれている。前者の臼歯は牛歯型で咬耗著しく、普通5咬頭(ドリオピテクス・パターン)である。後者の群のなかでは、パレスチナのカルメル山で発見されたタブーン(tabun)人とスフール(skhul)人が有名であり、彼らの臼歯は、牛歯型とは異なる。ただし歯列の咬耗は他の“化石のヒト”と同様に著しい。彼らが使用していた道具は、剥片石器に打調をほどこした石器であり、また火を使用し遺体を埋葬した。これらのことから、彼らがかなり高度な生活様式を備えていたことが想像される。その後、3万5000年前ないし3万年前になると、これらのネアンデルタール人は地球上から姿を消し、代わって新人homo sapiensが登場する。そして、それまでみられなかったまったく新しい石刃文化が支配的になってくる。その後、現代に至るまで、homo sapiensは現生人種として多くの亜種をつくっている。
【運動様式の変化】
霊長類としてのヒトを考える場合になによりも特徴的なことは、ヒトが直立歩行できることであろう。このことは単にヒトの活動を敏感にさせたというだけにとどまらず、前肢を歩行の役割りから解放して道具づくりに役立て、文化発祥の糸口をつくった点からも重要な意義がある。直立歩行の獲得により、その頭蓋骨は頚部の筋の圧力から解放され、脳はその容積を増し、homo sapiensの誕生を決定的にした。ここでは、ヒトが直立するまでのさまざまな運動様式の変化をたどってみることにする。
哺乳動物の示すもっとも原始的な運動様式は、地上4足歩行である。ハリネズミのような哺乳類は、昔からこのような運動様式を営んでいた。しかしそれらのうちであるものは、食物の確保や他の動物からの脅威を回避するといった理由から、樹上で生活するようになった。現生の霊長類でも、ツパイやメガネザルなどは、樹上で4足歩行を行なっている。ツパイやメガネザルの祖先であるノタルクトゥスやタルシオイドは、すでに樹上で4足歩行を行なって生活していた。この運動様式はのちに、テナガザルにみられるような樹上2足歩行に変わっていく。4足歩行を営む一般の哺乳類が、体を起こして2足歩行に近づくにつれその骨格に現われた形態変化を、次に列挙する。
1)胸廓が前後方向に扁平になる。
2)第10胸椎の棘状突起がまっすぐでなくなる。疑猿類のレムールでは背斜椎骨がはっきりしているが、テナガザルではすでに消失している。
3)視線脊柱角が直角化し、頚筋が退化する。
4)4足獣の場合は脊柱と視線の方向は平行であるが、ゴリラではこれが135度となりヒトでは90度になる。そしてこのような変化にともなって、頭部を水平軸上で脊柱に結びつける役割りを果たしている頚筋が、ヒトに近づくにつれて退化する。ただし頭部を垂直軸上で回転するために必要な筋、たとえば胸鎖乳突筋はヒトにおいてもっともよく発達している。この筋の付着部である乳様突起が、ヒトでもっとも発達しているのはこのためである。樹上で2足歩行をするテナガザルやチンパンジーは、やがてブラキエーションと呼ぶ特殊な運動様式を獲得することになる。ブラキエーションとは、樹の枝の間を長くなった腕でとびまわって水平方向に移動する様式である。こうした運動は樹上生活への適応のために生まれたものである。
こうした樹上生活への適応により、次のような変化が生じた。
1)運動器官、とくに手足が、樹上生活に適するように改善され、また視覚が発達する。
2)木の上での敏速で、しかも複雑な運動を可能にする。
3)このような課題を遂行するために、中枢神経系が改善され脳の進化が急速に進む。
中新世に生存していたdryopithecusは樹上2足歩行とブラキエーションの運動様式をもち、このため彼らの上肢は、現生の類人猿にみられるように強大なものになっている。しかし地上を足で直立歩行することは不得手だったようである。このことから人類は、dryopithecusよりももっと以前から地上生活をしていた比較的小型の霊長類から、進化したものと考えられている。そのためdryopithecusは類人猿の祖先であって、ヒトの祖先とは一線を画していると一般に解釈されている。大型類人猿が、4足歩行するときは、その指は手根関節で手掌側に曲げて握られ、その握りこぶしの背部を使って歩行する。この運動様式はナックル・ウォーキングと呼ばれ、ゴリラやチンパンジーのような大型類人猿は重心が体の上部にある関係上、2足でなく、このような半4足で歩く。ヒトの体の重心は体の下部にあるから、その点からいうとヒトははじめから2足歩行していた可能性が強い。そのためヒトの祖先は大型類人猿のようなブラキエーションを行なわなかったと考えられている。ヒトが地上直立2足歩行を獲得することにより生じた変化を次に列挙する。
1)腰帯の変化にともない脊柱、下肢が変化した。腸骨の幅は大きくなり、坐骨は短くなる。脊柱は垂直方向に、しかも曲線姿勢に耐えられるようになる。
2)視線、脊柱方向の角度の変化。
3)頚筋の退化と胸鎖乳突筋の発育。
4)目と脳によって統制された前肢の役割りの確立。
5)歯は戦いのための武器でなくなり、咀嚼機能だけを果たすようになる。
6)歯が武器でなくなると、脳は質的に優れその大きさを増加する。
7)咬合の進化。
【Gregoryの業績】
アメリカの古生物学者Gregoryは、その著書“The origin and the evolution of the human dentition”で脊椎動物の進化を歯の比較解剖の点から明らかにした。とくにヒトの歯の起源に関する彼の研究は、優れた業績として広く学界に認められている。次にGregoryの業績の一部を引用する。
哺乳類様爬虫類では、犬歯が発達してきた他に切歯、犬歯および哺乳類によく似た咬頭をもつ臼歯が分化した。このことは、食物を頬の部分で咀嚼する習慣と結びついており、爬虫類が食物を大きな塊のまま“うのみ”にするのとは対照的である。哺乳類様爬虫類のうちで、さらに進化したものでは、歯式は、はっきりと切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯に分化し、とくに大臼歯は突起を現わしている。さらに、進化した原始哺乳類では切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯の分化が明確となり、とくに大臼歯では中央部に高い突起と左右の低い突起をもつようになっている。
このように原始哺乳類はその大臼歯に3本の鋭い突起をもっているが、その後に現われた原始小型哺乳類では、にぶい、とがらない、3つの結節を有する大臼歯をもつようになる。前者は“3突起歯類”、後者は“3結節歯類”と呼ばれている。中生代の三畳紀以後、哺乳類様爬虫類から進化した原始哺乳類の3突起歯類、3結節歯類は、ほとんど絶滅したが、生きのびた3結節歯類のあるものから、新生代の暁新世paleocene(約7800万年前)に、原始霊長類が進化したと考えられている。中生代三畳紀の小型哺乳類は、すでに3143/3143の歯式をもち、その咬頭形式は特徴的な“原始三角形”を示している。この段階からさらに進んで新生代の始新世eocene(約5500万年前)に現われるレムールに似た原始霊長類になると、上顎大臼歯は4咬頭に変わり、また下顎大臼歯は6咬頭を現わすようになる。これは前ドリオピテクス段階と呼ばれ、擬猴亜目や扁鼻亜目(新世界ザル)、狭鼻亜目の旧世界ザルなどのいわゆる“サル”にみられるものである。その歯式は新世界ザルでは2133/2133、旧世界ザルでは2123/2123に変化している。狭鼻亜目には、一般に、旧世界ザルと類人猿および人類が含まれるが、歯式はすべて2123/2123である。新生代の中新世miocene(約2000万年前)になると大型霊長類が現われる。彼らはドリオピテクス段階に位置し、下顎大臼歯は5咬頭である。これがドリオピテクス・パターンとよばれるもので、上顎大臼歯は4咬頭、下顎大臼歯は5咬頭の咬頭形式を備え、下顎大臼歯の咬頭を分ける溝がY字型を形成している。この形式は現生の大型類人猿、ことにゴリラに保存されている。またaustoralopithecusのような前人類や、sinanthropusのような真正人類にも残されている。
しかし、現生人類の大多数では、下顎大臼歯の第5咬頭(遠心咬頭)が退化し、咬頭を分ける溝は、プラス(+)型を形成することが多い。ただし、現生人類でもY型を形成するものがあり、このような形質が多かれ少なかれ、遺伝によって支配されていることがわかる。
【サルとヒトの咬合の特徴】
1)有尾猿の咬合様式:有尾猿は、蝶番回転運動hinge movementしか行なうことができない。犬歯は比較的大きく、ことにオスの犬歯は超大である。日本ザルの頭蓋骨には、ゴリラにみられるような矢状稜は存在しないが、側頭筋の付着部位は広く、また下顎角部も広い。そして臼歯の咬頭はシャープである。咬耗はゴリラと同じように、機能咬頭に限局して発生する。
2)類人猿の咬合様式:類人猿は、回転運動を主として行なうが、わずかに滑走運動translational movementを営むことができる。ゴリラの頭蓋骨では矢状稜と眼窩上隆起が著明に発達し、そのことからゴリラが強力な咀嚼筋をもっていることがうかがえる。矢状稜と眼窩上隆起は強大な咀嚼圧を支える構築的な意義をもっている。大きな咬筋を支えるために、下顎角部もよく発育している。頬骨弓は、大きな側頭筋束が通るために著しく突出している。ゴリラの歯列はボックス型を呈し、臼歯は一直線に並び、左右対称的に配列している。上顎歯列弓の側切歯と犬歯の間に、下顎犬歯が嵌合するためのディアステーマが存在し、下顎歯列弓の犬歯と第1小臼歯の間に、上顎犬歯が嵌合するためのディアステーマが存在している。臼歯部の咬耗は機能咬頭のみに限局して点状に存在し、非機能咬頭にあまり咬耗はみられない。全般に、咬頭はよく原型を保存しており、わずかにみられる咬耗は、開閉運動によって生じたものである。犬歯の咬耗は上顎では近心斜面、下顎では遠心斜面にそれぞれみられ、この咬耗により犬歯はたえず鋭利に保たれている。
3)原始人の咬合様式:原始人の歯と歯列には、極端な咬耗と切端咬合が共通の特徴としてみられる。すでに、原始人は小さな犬歯をもち、そのため自由に側方運動が営めるから、蝶番回転運動よりも、側方滑走運動を好んで行なっていたことがうかがえる。
4)現代人の咬合様式:現代人の歯と歯列には、原始人のような極端な咬耗や切端咬合はみられない。前歯には被蓋があり、臼歯もよく被蓋している。しかし側方滑走運動の習癖は依然として受けつがれ、病的な咬合を招く原因のひとつになっている。
【ヒトの咬合様式の変遷】
austoralopithecusの化石と一緒に発掘された動物の骨片や、彼らが使用した道具から、austoralopithecusが優れた狩人であったことが想像されている。彼らは、類人猿のように菜食を主としていたのでなく、むしろ雑食に適応しようとして、あらゆるものを食べていたことが明らかになっている。もちろん特別な調理法はもたなかったであろうから、獲物はほとんど生のままで摂取されたはずである。ヒトの歯は、元来、食果‐食肉の中間的形態を保持し、雑食の形態を備えているわけではない。雑食をするためには下顎を水平的に動かさなければならない。そのため雑食に適応できるように、その犬歯は徐々に退化して小さくなったのだと考えられている。
一方、“化石のサル”から分化した。別な子孫である今日の類人猿は、大きな犬歯をもち、開閉運動以外の運動はほとんど行なわない。その歯列には原始人にみられるような咬耗はみられない。今日の類人猿は“化石のサル”の時代とあまり変化のない食生活を営んでいる。柔らかい果実を食べるには下顎は開閉運動を営めば十分だから、類人猿の犬歯は小さくならなかったのであろう。austoralopithecusの歯列には極端な咬耗と切端咬合がみられる。これは彼らが硬い生肉や草木を無理して咀嚼したためと思われる。この他、彼らが歯を生活の道具として使っていたことも咬耗を促進させる大きな要因になったはずである。sinanthropusの大人にもまた著明な咬耗と切端咬合がみられる。そして、その犬歯は著しく咬耗し切歯化している。彼らが火や道具を使って生活していたことは、歴史上の事実として認められているが、その食生活はaustralopithecusと大差がないため、このような咬合形態を備えたのである。こうして極端な咬耗と切端咬合は200万年前のaustoralopithecus以来、2000年前の弥生時代の人に至るまで、原始人にみられる共通した歯列の特徴となっている。
ところが現代人の歯列にはそのような特徴はみられず、そこには著明な被蓋が現われている。これは現代人の鉄器の文明をもち、鋭利な刃物を使って肉の塊のなかから、柔らかい部分だけを食べるようになり、その食生活が大幅に改善されたことが原因である。その他あらゆる面で生活様式が改善され、歯を咬耗させるような要因が除かれたことも大きく影響している。現代人は、日常、果物に準ずるような柔らかい食物を摂取しているため、咀嚼時にあまり過度な水平運動を必要としなくなった。しかし何10万代にわたって、硬い食物を無理して咀嚼する習慣が定着しているため、どうしても不必要に水平運動を行なう傾向があり、臼歯が咬耗されやすくなっている。そして、これが咬合障害を生むひとつの原因となっている。もし、現代人が類人猿のように犬歯を使って上手に下顎を誘導させることができれば、多少下顎を水平に動かしても、臼歯は離開され咬耗を引き起こす事態は未然に防止されるはずである。ヒトは数100万年にわたって雑食へ適応するために努力を重ね、その犬歯は徐々に退化して機能の犠牲者になったのである。犬歯の失われた機能は今日再認識され、犬歯誘導咬合が推奨されている。こうして類人猿の咬合、原始人の咬合、現代人の咬合の特徴が発生したと考えられる。