咬合様式
- 【読み】
- こうごうようしき
- 【英語】
- Occlusal scheme
- 【辞典・辞典種類】
- 新編咬合学事典
- 【詳細】
- ⇒理想咬合(セントリックの)
顎口腔系にとって快適で、咀嚼効率が優れ、生理的・形態的に異常がなく、審美的にも良好な咬合。Guichet(1970)は、理想咬合の基準として、1)垂直的ストレスを減少させる要素を咬合に結びつけること、2)顆頭が中心位にあるとき、歯は咬頭嵌合位を保つこと、3)中心位から水平的荷重を受けるのにもっとも適した歯が機能するまで、下顎の水平的運動を許すこと、の3つをあげている。セントリックとは下顎窩内で顆頭が生理的に適正な位置にあり、下顎が無理なく純粋な蝶番回転を行なうことができ、かつその下顎位が咬頭嵌合位と一致している状態と定義されている。セントリックを表す用語としては中心位が有名であるが、その定義は時代とともに変遷してきた。
【定義の変遷】
中心位の歴史は1920年代までさかのぼる。当時、南カリフォルニアの意欲的かつ有能な臨床家を集め、カリフォルニア・ナソロジカル・ソサエティーを主宰して活発な研究開発や啓発活動を行なっていたMcCollumは、顆路と調和した補綴物を製作するには咬合器上に精密に下顎位を再現して下顎運動を正確にシュミレート(模擬)する必要があり、そのために上下顎歯列の正しい相対的位置関係を定める基準が必要であると考えた。そのころの歯科医療は石膏印象やモデリング・コンパウンド印象の時代であり、上下顎の模型は石膏咬合器のような粗末な器具に咬頭嵌合位で取りつけられるのが常だった。したがって、顎関節との調和を考えて下顎位を求めるという発想は奇想天外ともいえるものであったと想像される。その当時でも総義歯をつくるときは顆頭の位置に頼らなければならなかったはずだから、中心位的なイメージは一部にはあったと思われる。しかし中心位という明確な概念とそれを採得するための術式を提示して、これを咬合再構成の基準にすることを主張したのは、McCollumが最初である。
McCollumは顆頭を下顎窩の最後壁にぴったりとおさえつけて下顎を開閉させれば、顆頭の後壁は下顎窩の後壁面に固定され、純粋な回転運動が行なわれると考えた。事実、下顎にヒンジアキシス・ロケータを取りつけ、スタイラスが顆頭部を指示するようにして上記の状態で開閉運動を行なわせると、スタイラスは円弧を描く。スタイラスの位置を円弧の中心に向かって移動させると、やがて開閉運動中にスタイラスの尖端が静止して回転のみを行なうような位置が求められる。McCollumはこの事実を、下顎が蝶番の運動に似た純粋な回転運動を行なう実験的証明であると考え、左右のスタイラスの尖端を結ぶ仮想線をセントリックにおける下顎の回転軸とした。この回転軸は顆路の最後方の終末端に現われることからターミナル・ヒンジアキシス(終末蝶番軸)と名づけられた。
上述のように下顎の最後退位(初期の中心位)は顆頭を下顎窩の後壁に強く押しつけることにより得られるものである。McCollumらはこの下顎位が顎関節の構造により規制されるため再現性が高いと考えた。下顎のこの回転軸を咬合器の回転軸に一致させれば、咬合器上に患者の上下顎が開閉する際の下顎の回転軸を精密に再現できることになる。以上からMcCollumはこれこそセントリックという名を冠するのにふさわしい下顎位であると考え、この下顎位を中心位centric relationと名づけた。
中心位は下顎窩内における顆頭の位置を考慮した下顎位であり、またそれを咬合器上に再現するための運動学的手段としてターミナル・ヒンジアキシスと結びつけられていたという点で、当時としては画期的な発想であった。ちなみに顆頭を下顎窩の後壁に強くおさえつけた状態で下顎を開閉させれば、顆頭後端に接面回転を生じるため、回転軸が求められることは機械工学的には自明のことである。ターミナル・ヒンジアキシスの存在は上述の機械的実験による他、エレクトロニクスを用いた保母、望月の予備実験によっても証明されている。
その後、McCollumの高弟のGrangerは、中心位を採得する際に顆頭の後方だけに接点をもうけたのでは顆頭を下顎窩内の安定した位置に固定することは幾何学的に難しいと述べ、上方にもう1点接点をもうけて2点で顆頭を安定させることを提案した。つまりGrangerは中心位は顆頭が後方と上方の3点によって下顎窩内に固定されるような位置(後上方位)であるべきだと主張したのである。ついでMcCollumのもう1人の高弟であるStuartは、下顎窩内で顆頭を後方と上方の2点で支持するだけでは顆頭は下顎窩内で3次元的に安定しないと考え、内側方からもう1つ接点を加えることを推奨した。このようにすれば顆頭は下顎窩内で3点で固定されてさらに安定するようになる。こうして中心位は顆頭のrearmost、uppermost、midmostの位置(略称RUMポジション)と定義されるようになった。
以来ナソロジー学派では、中心位が咬合の絶対的な基準位置とされ、中心位と咬頭嵌合位とを一致させた状態をポイント・セントリックと呼び、顎関節と歯の調和が得られる理想的な下顎位と信じられてきた。こうして“RUMポジション”、“ターミナル・ヒンジアキシス”、“ポイント・セントリック”の3つを基盤とした咬合の機械的診断と治療の道が開かれるとともに、今日の眼からみれば欠点はあったものの、下顎運動の原点という概念を明示したことにより歯科医学の分野ではじめて合理的かつ科学的な臨床を目指す糸口がとらえられた。
以上述べた中心位の考え方はナソロジー学派のいわば教義としてその後数十年にわたり受けつがれたが、1973年にCelenzaにより大幅に修正された。それまでのナソロジーでは顆頭がRUMポジションにあるときに顎関節は生理的に安定な状態にあると考えられてきたが、この位置は顆頭を最後上方に押しつけて無理に純粋な蝶番回転運動を生じさせたもので非生理的な位置であり、顎関節の軟組織に不必要な緊張を引き起こすという傾聴に値する意見もあり、批判的な態度をとる人々も多かった。Celenzaはナソロジーのオーソドックスな術式に従って、ポイント・セントリックを付与した32症例のフルマウス・リコンストラクションの術後、2~12年の咬合状態を調べ、中心位と咬頭嵌合位が一致したのはわずか2症例で、残りの30症例は術後に中心位と咬頭嵌合位との間に0.02~0.36mmのずれを生じたと述べている。このことからCelenzaは顆頭をRUMポジションに押しつけるようにして中心位を求めても、ある年月の間にその顆頭位は生理的に是正されるのではないかと述べ、RUMポジションが本当に適正な顆頭の中心位であるのか疑問を投げかけた。引きつづきCelenzaは1984~1985年に至り、以下に述べるような趣旨で、顆頭は下顎窩内の“前上方位”にある状態がもっとも好ましいという見解を発表している。
“顆頭の後方にはバイラミナゾーンと呼ばれる神経と血管が豊富に分布した軟組織があり、強大な咬合力から生じる応力(ストレス)に耐えるのに適していない。同様に下顎窩の最深部は骨組織の層が薄く強圧を受け止める構造になっていない。RUMポジションはこうした部分に強大な圧力を加えるため顎関節に為害作用を及ぼすおそれがある。下顎窩のなかで咬合力による応力を受けるのに適した唯一の軟組織は関節円板で、これは緻密な結合組織からなり、膠原線維束が織り交ってフェルト様の構造をもっている。とくに関節円板の中央部分は耐圧性に優れ神経や血管は存在しない。前上方位では、顎関節に強い応力がかかるとき、顆頭は下顎窩内の前上方の位置におかれ、強い耐圧性をもった関節円板の中央部を介して関節窩の前方にある隆起部(関節結節eminence)と向かい合うが、下顎窩のこの部分は緻密骨の層が特別に厚くつくられている。以上から前上方位は顎関節が顆頭を保持している解剖的位置関係と生理的組織構造に適応した下顎位であるといえる。”
このような状況を背景に、1985年に開催されたNewport harbour academyにおいて、解剖的、生理的かつ機能的に適正な顆頭位を、適正顆頭位optimum condyle positionと呼ぶことが決まるとともに、この顆頭位を顎関節症やオーラル・リハビリテイションにおける咬合治療に用いるべきであるということが示唆された。しかしこの用語はあまり普及しなかった。
1979年に刊行されたInternational academy of gnathologyのglossary of occlusal termsでは中心位はMcCollum、Stuartの考え方を反映し次のように定義されていた。
“左右の顆頭が下顎窩内で最後方、最上方、最中心部の位置にあるときの下顎に対する上顎の関係、中心位は一連の下顎開口路上に存在することができ、左右の顆頭が下顎窩内で後方の位置を出るまで侵害されない。下顎の緊張のない蝶番位”
これに対し、GPT-5(1987)ではcentric relationはCelenzaの見解をそのまま取り入れて、次のように定義されている。
“左右の顆頭が、それぞれの下顎窩内の前上方部において、関節結節の傾斜部と対向し、かつ関節円板のもっとも薄い血管の分布を欠く部分と嵌合している上下顎の位置的関係。この位置は咬合接触に依存しない。また臨床的には、下顎が前上方に向けて誘導され、かつトランスバース・ホリゾンタルアキシスの回りに純粋な回転運動を行なう範囲にとどまっているときの位置である”
この定義には円板―顆頭複合体という概念が加えられ、従来顎関節を機械的に眺めていたのを、より生物学的にとらえる姿勢が現われたことが注目される。なお、この定義の末尾には“この用語は不適切用語とすべき”という注釈が付されている。中心位の定義はGPT-6(1994)では次のように各論併記のかたちになっている。
1)左右の顆頭がそれぞれの下顎窩内の前上方部において、関節結節の傾斜部と対向し、かつ関節円板のもっとも薄い血管の分布を欠く部分と嵌合している上下顎の位置的関係。この位置は咬合接触に依存しない。また臨床的には、下顎が前上方に向けて誘導され、かつトランスバース・ホリゾンタルアキシスの回りに純粋な回転運動を行なう範囲にとどまっているときの位置である(GPT-5 1987)。
2)下顎の上顎に対するもっとも後退した生理的な関係であり、そこから側方運動が行なえる。種々の度合いの顎の離開において存在する状態である。ターミナル・ヒンジアキシスの回りに生じる(GPT-3 1968)。
3)顆頭が種々の度合いの顎の離開において、そこから側方運動が行なえるような下顎窩における最後方の緊張のない位置にあるときの下顎の上顎に対するもっとも後退した関係(GPT-1 1956)。
4)与えられた咬合の高径において側方運動が行なわれるような下顎の上顎に対する最後方関係(Boucher 1953)。
5)顆頭と円板が中心部で最上方の位置にあるときの下顎に対する上顎の関係。その位置は、解剖学的に定義するのは難しいが、臨床的には固定したターミナル・ヒンジアキシス(25mmまで)の回りに下顎が(25mmまで)蝶番回転することによって決定される。顆頭円板のアセンブリが下顎窩内の最上方の位置で関節結節の傾斜部と対向した位置にあるときの臨床的に決定された下顎の上顎に対する関係(Ash 1995)。
6)下顎が下顎窩内の最上方、最後方の位置にあるときの下顎の上顎に対する関係。この位置は咀嚼器官の機能不全が存在するときは記録することができない(Lang 1973)。
7)両顆頭を前最上方部に位置づける下顎の臨床的に決定した位置。TMJの疼痛と顎間症をともなわない患者において決定される(Ramfjord 1993)。”
GPT-5(1987)において記されていた“この用語は不適切用語とすべき”という注釈はGPT-6(1994)では撤回されている。これは中心位という用語が歯科界に深く浸透しているため不適切用語とすることができなかったためであろう。以上の一連の改訂により、中心位の定義は適正顆頭位の概念に限りなく近づいたといえる。このようにして顆頭位における基本位の定義は、最後退位からRUMポジションに変わり、現在では前上方位が推奨されるようになった。
【最近の知見】
中心位は異なる条件や刺激により変化することが報告されており(Grasso 1968、Strohaver 1972、Kantorら 1972、Kabcenell 1964、Shafaghら 1975)、その変化の範囲はおおむね±0.5mmである(Weinberg 1991)。Calagnaら(1973)は24時間のバイト・プレーン(スプリント)治療により中心位が0.5mm後退したと述べ、Celenza(1973)は筋肉運動により同様の結果を得た、と報告している。Weinberg(1991)は、このことはBoucher、Jacobi(1961)がはじめて指摘し、McMillen(1972)によって確かめられた“筋の状態が下顎窩内の顆頭の位置に関係する”という見解を裏づけるものだ、と述べている。ちなみにMcMillenの研究では、麻酔剤または強力な筋肉弛緩剤の投与により、顆頭は下方に向かい、平均的な関節腔空隙の約3倍まで下降したことが確かめられている。
中心位の咬合採得時の下顎の誘導法については種々論議されてきたが、中心位の定義がRUMポジションから前上方位へ移行したのにともない、顆頭を下顎窩の“最後方”に位置づけて最後退位を求めるオトガイ誘導法は支持されなくなり、“最上前方”に位置づけるバイラテラル法やスリーフィンガー法がとって代わるようになった。さらに最近では咬頭干渉を解除した状態で挙上筋(閉口筋)の作用により顆頭を下顎窩の前上方に保持するリーフ・ゲージ法が注目されている。この他、筋の自然な機能にまかせ術者による誘導なしに下顎を閉口するアンガイド法にもまだ根強い支持がある。最近、河野(1996)が推奨している約10mmのストロークを用いる顆頭安定位の採得法もアンガイド法のひとつであろう。
保母ら(1984)は電子計測により、バイラテラル法ないしスリーフィンガー法、オトガイ誘導およびアンガイド法の3つの方法で求めた顆頭中心の相対位置を調べた。その結果、バイラテラル法ないしスリーフィンガー法によって求めた顆頭位はアンガイド法によって得られたそれに対し平均して前方へ0.05mm、上方へ0.04mmの位置にあるもののt検定による有意差はないことがわかった。一方、オトガイ誘導法の顆頭位はバイラテラル法ないしスリーフィンガー法およびアンガイド法の顆頭位に対し、平均してそれぞれ後方へ0.30および0.25mm、下方へ0.10および0.06mmの位置にあり、t検定の結果も有意水準p<0.01で有意であった。前後的な差の0.30mmという値は、中心位と咬頭嵌合位の差についてRamfjordやCelenzaの最近の見解ともよく合っている。以上の結果は、オトガイ誘導法が顆頭を下顎窩の最後方に位置づけるため、円板後部結合組織に異常な圧力を加えるおそれがあり、生理的でないというCelenzaの見解を裏づけるものといえよう。
以上述べたように中心位の定義は当初の最後退位からRUMポジションを経て現在の前上方位まで変遷し、臨床的な採得法もまだ確立したとはいえないが、咬頭嵌合位の基準とすべき理想的な下顎位を求めようとする主旨は当初から現在も変わらず、今後とも変わることはないであろう。
【臨床的検討】
中心位の定義がRUMポジションから前上方位に変更されたのにともない、水平基準軸の定義もターミナル・ヒンジアキシスからトランスバース・ホリゾンタルアキシスに変わった。しかし後者の採得方法はまだ確立していない。したがって臨床的にはフェイスボウ・トランスファに際し後方基準点としてはターミナル・ヒンジアキシスを用いざるをえない。
平均値でターミナル・ヒンジアキシスを求めた場合、咬合位に生じる誤差はマッシュバイトを用いた場合は最大100μmにとどまるものの、厚さ3mmのセントリック・バイトでは最大400μmに達する。したがってセントリック・バイトを用いて下顎模型を取りつける症例では、水平基準軸の位置誤差の影響を避けるために、後方基準点は実測により求めなければならない。後方基準点を実測するとき、顆頭を下顎窩の最後退位に押しこみ接面回転を生じさせる必要がある。そのため、オトガイ誘導法を用いることになり、これによって求められる水平基準軸はターミナル・ヒンジアキシスであり、トランスバース・ホリゾンタルアキシスではない。一方、下顎模型を取りつけるためのセントリック・バイトは、リーフ・ゲージ法などを用いた前上方位で採得され、下顎をわずかに開口させた状態で行なわれる。このときの水平基準軸はトランスバース・ホリゾンタルアキシスとなる。その結果、ターミナル・ヒンジアキシスでマウントした上顎模型に対してトランスバース・ホリゾンタルアキシスを用いて採得したセントリック・バイトで下顎模型をマウントするかたちになり、2つの水平基準軸を混用する結果となる。両者の差が誤差となって咬合位のずれを生じることが考えられる。2つの水平基準軸を生じる顆頭の位置の差は平均0.25~0.30mmであり(保母、岩田 1984、Hobo、Iwata 1985)、この誤差による影響はセントリック・バイト採得時の開口量を3mmとした場合、咬合位でも最大24μm、偏心運動時における咬頭路では最大6μm前後にすぎない。したがって、中心位を再現するときに2つの水平基準軸を用いることにより生ずる咬合位のずれは無視できる。
⇒理想咬合(偏心位の)
顎口腔系にとって、快適で、咀嚼効率が優れ、生理的・形態的に異常がなく、審美的にも良好な咬合。Guichet(1970)により定義された。Guichetは理想咬合の基準として、1)垂直的咬合圧によるストレス(応力)を減少させる要素を咬合に結びつけること、2)顆頭が中心位にあるとき、歯は咬頭嵌合位を保つこと、3)中心位から水平的咬合圧を受けるのにもっとも適した歯が機能するまで、下顎の水平的運動を許すこと、の3つをあげている。Guichetは特定のパターンを指定せず、術者は上記の理想咬合の基準に基づき現症を検討し、治療の成功度を評価し、そのヒトにもっとも適切な咬合のパターンを付与すべきであり、すべてのヒトに共通する咬合のパターンはありえないと主張している。Slavicek(1982、84)は順次誘導咬合の提唱に際し、咬合様式の目的として筋の活動電位を最小限に保つことをあげている。偏心運動時には有害な水平咬合圧が発生する。これをいかにして歯と顎関節に安全に配分するかについて種々の異なった見解があり、今日、偏心位の理想咬合はバランスド・オクルージョン、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン、グループ・ファンクションの3つに分類されている。
【バランスド・オクルージョン】
バランスド・オクルージョンは3つの理想咬合のうちでもっとも古く、咬頭嵌合位と偏心運動の全過程においてすべての歯が同時に接触するような咬合様式をいう。フルバランスド・オクルージョンあるいは両側性咬合平衡bilateral balannceとも呼ばれる。バランスド・オクルージョンは、下顎の偏心運動中にすべての歯を同時に接触滑走させることによって、咀嚼中に発生する水平咬合圧(側方圧)を各歯と顎関節に均一に分散させることを目的としている。その結果、側方圧は歯と顎関節とが生理的に分担できる範囲内まで軽減できると考えられた(Granger 1962)。バランスド・オクルージョンは咀嚼運動が垂直的でなく、水平的に発生するという学説を前提として樹立された。これに従えば、咀嚼運動とは歯にとって有害な側方圧を連続的に加える作用ということになり、側方圧を少数の歯に負担させることは、歯周組織の保護の観点から好ましくないことになる。この咬合様式は、古典的下顎運動理論を基盤とし、はじめは総義歯のための咬合として考案されたもので、その起源は前世紀にさかのぼる。しかし年月の経過とともに、このような咬合が無歯顎、有歯顎を問わず広い意味の理想咬合となり、今世紀のはじめにはこれが既成概念となった。そのためMcCollumもオーラル・リハビリテイションの理想咬合としてバランスド・オクルージョンを採用している。
1940年代後半になって、StallardとStuartはバランスド・オクルージョンを与えた症例の大半が失敗に終わったことを知り、このような咬合が果たして理想咬合といえるか疑問を抱くようになった。Stuartら(1963)はバランスド・オクルージョンを次のように批判している。“可能な限り多数の歯を下顎運動の全過程において接触させようという考え方は不合理である。たった2本の切歯が薄い繊維性の食物を切断しようとするときに、残りの歯を全部接触させようとするのはばかげている。そして片方の歯列で小さな食物の塊を噛むときに、わざわざ非作業側の全歯を接触させるということもまことにぎごちないことである。”バランスド・オクルージョンに対する批判点としては、上下顎歯の過度の接触により過度の咬耗が引き起こされること、また正常な歯周組織を有する天然歯列に完全なバランスド・オクルージョンを発見できないこと、などがあげられる。稀にみられる天然歯のバランスド・オクルージョンは咬耗の所産であることが多い。このような理由のためバランスド・オクルージョンは単なる想像上の理想咬合にすぎないと考えられるようになった。今日では、バランスド・オクルージョンは総義歯のための咬合と考えられ、適応症が限定されている。
【ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン】
D’Amico(1958)は、原始人やプレホワイト・インディアンの頭蓋骨について広範な人類学的調査を行なった。彼らの歯列には極端な咬耗と切端咬合がみられるのに対し、大きな犬歯をもつ類人猿では偏心運動中に上下顎の臼歯が離開するため臼歯の咬頭は健常な状態に維持されていることを観察した。そして咬耗による咬合の破壊を予防するために自然の与えた適応形態が、犬歯誘導咬合(カスピッド・ライズ)と臼歯離開であるという学説を提唱した。霊長類の上顎の犬歯は、常に下顎の犬歯と第1小臼歯に咬合している。犬歯のもっとも重要な機能は、下顎を咬頭嵌合位へ導き、その間に犬歯以外の歯が接触するのを防止することにある。このような犬歯の誘導作用によって、不要な歯の接触がなくなり、咬耗は防止される。したがって、犬歯は咬耗に対する自然の安全保障機能をもつと考えられる。また犬歯は、臼歯部に加わる側方圧を制限して、歯周組織を守るうえでも有効である。D’Amicoは犬歯の優位性の根拠として、1)犬歯が非常に緻密な歯槽骨壁によって囲まれ、2)わずかな刺激にも敏感であり、しかも3)その歯根が歯槽に深く植立し、歯冠長に対する歯根長の比率が大きく、また4)顎関節から離れた位置にあって、強い力を受けにくい、などの解剖的な利点をもつことをあげている。
D’Amicoの提唱したカスピッド・ライズは、あらゆる偏心運動を犬歯のみによって誘導させることをいい、臼歯離開咬合を目的として付与される。カスピッド・ライズでは類人猿にならい、前方運動と側方運動の区別なく、すべての偏心運動中に上顎犬歯に下顎を誘導させている。しかしヒトでは、犬歯が下顎の前方運動を誘導するのは稀であり、その誘導作用は側方運動中にのみ認められるのが普通である。そのため今日ではカスピッド・ライズは理想咬合のうちに数えられていないが、その考え方を契機としてミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンが発案され、臼歯離開はその一要件となった。
Stallardは、65~70歳という高齢にもかかわらず、ほとんど咬耗のない歯をもつヒトが散見され、そういう理想的な咬合をもつヒトの口腔内を診査したところ、偏心運動中に臼歯部歯列は接触せず、逆に咬頭嵌合位では前歯が接触せず、臼歯部歯列だけで垂直方向への咬合力を負担していることを知った。これは偏心運動中には前歯が臼歯を保護し、咬頭嵌合位では臼歯が前歯を保護するという相互間系をもっていることを示唆している。ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンは、1949年にStallardによって樹立された咬合様式で(Thomas 1988)、前方運動がはじまると上顎4切歯が下顎前歯の切端をガイドし、それより遠心に植立する歯は接触しない。側方運動中には、作業側の上顎犬歯の口蓋面が、下顎犬歯の遠心切端と第1小臼歯の頬側咬頭の近心斜面をガイドし、それ以外の歯を一切接触させない。ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンはGPT-6(1994)では、1)咬頭嵌合位では臼歯が前歯を保護し、2)前方運動では切歯が犬歯と臼歯を保護し、さらに3)側方運動では犬歯が臼歯を保護する咬合様式、と定義されている。
Lucia(1961)はミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの利点として次の事項をあげている。1)バランスド・オクルージョンのように咬頭が鼓形歯間空隙に噛みこまないため、歯の離開や挺出がない。2)中心位において歯列が安定した咬頭嵌合位をとるため、そのときに発生する咬合圧は歯の長軸方向に向けられる。3)前歯が臼歯と同時に接触滑走しないため、よりより切截が可能である。4)歯ぎしりをする傾向が少ない。5)歯の接触が最小なため咬耗が少ない。6)咬頭頂が対合歯と接触しないので咬耗が少ない。7)犬歯のもつ重要性が正しく意義づけられている。8)辺縁隆線、横走隆線および斜走隆線が鋏で切るような作用をして咀嚼効率を高めるため、咀嚼運動中の咬合力が小さくてすむ。9)この咬合様式を用いた場合は、同一口腔内で1つの補綴物をリマウントした後で他の補綴物をつくることができる。バランスド・オクルージョンではこのような操作は不可能である。10)バランスド・オクルージョンよりも審美的である。
【グループ・ファンクション】
StuartとStallard(Stuart、Stallard 1960、Stallard、Stuart 1963)によって提案されたミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンとほぼ時を同じくして、Schuyler(1959、61、63)は、犬歯1歯だけに全側方圧を負担させるよりも作業側の全歯に側方圧を負担させるのがよいのではないかと述べている。Scyuylerは、側方運動中に非作業側に現われる上顎臼歯の舌側咬頭と下顎臼歯の頬側咬頭との接触滑走(クロス・アーチ・バランス)は、歯周組織の外傷や顎関節の機能障害を誘発する原因になるので有歯顎には絶対に与えるべきでないとするとともに、作業側に現われる舌側咬頭どうしの接触滑走(クロス・トゥース・バランス)も為害性があり、望ましくないと述べている。以上のような考え方に基づきSchuylerは、側方運動中に作業側の全歯の頬側咬頭を接触させる一方で、作業側の舌側咬頭と非作業側の咬合接触を取り除き、臼歯を離開させるグループ・ファンクションド・オクルージョンを提唱した。この咬合はバランスド・オクルージョンからクロス・アーチ・バランス(非作業側の咬合接触)とクロス・トゥース・バランス(作業側の舌側咬頭どうしの咬合接触)を取り除いた咬合様式ということになる。
【臨床的位置づけ】
上述のようにもっとも古典的な理想咬合である。バランスド・オクルージョンは、総義歯のために発案された咬合様式で、偏心運動中にすべての上下顎歯を常時接触滑走させて、咬合力をなるべく多くの歯に分配することを意図している。矢状面内においてバランスド・オクルージョンをつくり出すには、咬合器の切歯路を顆路と平行に設定し、補綴物の咬頭傾斜を両者に平行に形成すれば実現できる。そのため前方運動のような2次元的な運動において、バランスド・オクルージョンを付与するのは比較的容易であった。しかし3次元的な運動である側方運動において、バランスド・オクルージョンを付与するのは困難である。下顎は三脚にたとえられるが、その位置は本来下顎三角の3頂点である左右の顆頭中心と切歯点の3点によって定まるものである。しかしバランスド・オクルージョンでは、3つの顆頭中心の他に切歯点に代わって左右両側歯列の咬合接触が必要となり、計4つの制約条件を包箴することになる。これは下顎を机にたとえると、3本足の机はすぐ床の上に安定するが、4本足の机は足先を精確に切りそろえないと安定しないことに相当する。しかもこの場合には左右両側にある2本の足は咬頭の数に相当する指をもっている。バランスド・オクルージョンを付与するためにはそれぞれの足を精密に切りそろえなければならない。したがってその実現はきわめて困難で、無理に付与しようとすると咬合面の頬舌径が異常に広くなったり、あるいは咬頭が極端に高くなったりして、そのような補綴物を口腔内に装着すると為害作用を生じることが認識されている。
Schuylerの提唱したグループ・ファンクションド・オクルージョンは、犬歯を含む作業側の全歯に咬合力を分散させることを意図したもので、天然歯列にもっとも広く存在する咬合様式であるとされてきた。しかし最近の研究により、天然歯列においてグループ・ファンクションの発現率は8%にすぎないことが判明した(保母、高山 1993)。Schuylerはこの咬合様式により側方運動中に作業側の全歯を接触滑走させ非作業側の歯を離開させるように提唱しているが、これは机のたとえでいうと、3本足の机に相当する。しかしこの場合、前方の足は1本のようにみえるが、この1本の足が作業側の歯の数に相当する指をもっている。片側だけとはいえ天然歯列でこれらの指がすべて整然とそろっていることは稀であろう。このように考えると天然歯列で作業側の全歯が接触滑走する例が8%しか存在しないのは当然であることがわかる。そのためこの咬合を補綴物に付与するのは実際には困難である。
最近グループ・ファンクションド・オクルージョンの定義が、側方運動中に作業側の(犬歯を含む)上下顎2歯以上が同時接触する関係にあり、それらの歯がグループとして咬合力を分散させる咬合様式、と変更された(GPT-5 1987)。そして用語もグループ・ファンクションに変更された。この定義によると作業側の歯の大半は臼歯離開してもさしつかえないということになる。一方非作業側のクロス・アーチ・バランスを禁忌とするSchuylerの指摘は現在でも有効である。したがって新しいグループ・ファンクションの定義は、作業側臼歯が接触滑走する状態というよりは、側方運動中に作業側の歯がわずかに接触するだけでほとんどの歯が離開する状態となり、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの定義に近づいたことになる。
カスピッド・ライズを糸口として樹立されたミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンでは、側方運動中に作業側の犬歯が下顎運動をガイドし作業側と非作業側の全臼歯を離開させる。その結果、下顎は2つの顆頭と作業側の犬歯からなる3本の足によって誘導されることになり、補綴作業もきわめて容易になった。こうして偏心位の咬合様式は、下顎を文字どおり3本の足で誘導することになり、つくりやすく、安定した理想咬合に落ち着いた。