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矢状切歯路

【読み】
しじょうせっしろ
【英語】
Sagittal incisal path
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
偏心運動中に切歯点によって描かれる運動経路の矢状面投影。切歯路の矢状面投影といい変えることもできる。通常矢状切歯路というと前方運動中の矢状切歯路をさす。咬頭嵌合位から切端咬合位に至る経路で、通常なだらかな曲線を描く。矢状切歯路は下顎運動をガイドする重要な運動要素のひとつとして、Gysiにより最初にその意義が強調された。Gysiは下顎の前方運動が、ChristensenやSpeeのいうように顆路傾斜と同心円をもつ咬合彎曲に沿って行なわれるという説を否定し、矢状切歯路と矢状顆路の両者によって支配されると主張した。Gysi(1908)は、歯は顆頭と切歯点の中間よりも前方寄りに位置するため、下顎運動時における切歯点の運動は重要であるとし、アダプタブル咬合器にはじめて切歯路指導機構を取りつけた。彼は切歯指導桿の先端を矢状面内で傾斜した切歯指導板でガイドさせることにより、矢状切歯路を再現させた。以来、切歯路は顆路とともに咬合器の基本的な構成要素となった。その後に開発される咬合器には、切歯指導機構が取りつけられるようになり、アダプタブル咬合器は近代的咬合器の原型となった。Gysiは矢状切歯路と矢状顆路のあり方が、人工歯の咬頭傾斜角に及ぼす影響についても言及している。たとえば、矢状顆路傾斜度が30度で矢状切歯路傾斜度が10度の場合、人工歯の咬頭傾斜角は20度となると説明している。この理論は長く補綴界で支持されてきたが、これは総義歯を対象としたバランスド・オクルージョンにだけ成立する理論であり、臼歯離開咬合を理想とする有歯顎者にあてはめることはできない。ちなみに最近の咬合理論によると、矢状前方顆路傾斜度が40度で矢状前方切歯路傾斜度が45度の場合、前方運動中の第1大臼歯における臼歯離開量を1.0mmとすると、咬頭傾斜角は25度になる。
前方運動中の矢状切歯路が水平基準面となす角度を矢状前方切歯路傾斜度といい、側方運動中の矢状切歯路が水平基準面となす角度を矢状側方切歯路傾斜度という。側方切歯路の方向は水平側方切歯路角と前頭側方切歯路傾斜度により一義的に定まり、またこれら両者のほうが咬合面形態との数値的関連が密接なので、咬合要因としての矢状側方切歯路傾斜度の重要性は小さい。前方運動中の矢状切歯路は、臼歯離開量を決定する重要なファクターとなり、オーバーバイトが浅い場合は、前歯の制御力が減ずるので、臼歯はあまり離開しない。そのため臼歯の咬頭を低くつくる必要がある。逆に、オーバーバイトが深い場合には前歯の制御力が増すので、前方運動中に臼歯はよく離開する。有歯顎者の矢状切歯路は、前歯のオーバーバイト、オーバージェット、上顎前歯舌面の形態などによってさまざまに変化する。
前方運動が咬合に関係するのは、中心位または咬頭嵌合位から切端咬合位までである。この間に切歯点が移動する直線的距離は3.6±1.3mm(中野 1976)、4.1±1.1mm(保母ら 1993)である。両データの下限を約3mmとし、矢状切歯路傾斜度を平均45度とすると、オーバーバイトとオーバージェットの下限は約2mmとなる。前方運動中の矢状切歯路と矢状顆路の間に相関があるか否かは興味ある課題である。河野ら(1975、Kohnoら 1983、87)は、マルチフラッシュ撮影装置を用いた下顎運動測定結果に基づいて矢状切歯路と矢状顆路の相関を調べ、矢状顆路と矢状切歯路の傾斜度の差により前方運動中に下顎の蝶番回転運動を生じ、これをパラメータとした場合、回転量の小さな・型(平均-0.1度)と回転量の比較的大きなI型(平均1.4度)のIIグループに分類できるとした。そして矢状切歯路の傾斜度は矢状顆路傾斜度の大小や顆路の形状とは相関せず、むしろ下顎の回転によって差を生じると述べている。河野らはAbeら(1973)の筋電図を用いた研究を引用し、切端咬合位から咬頭嵌合位に至る下顎の機能的な閉口運動時に切歯路が顆路よりも急な場合は顆頭は順方向(下顎の閉口する方向)に回転するが、矢状切歯路が矢状顆路よりも緩やかな場合は顆頭は逆方向(下顎の開口する方向)に回転すると説明している。そして顆頭が逆回転すると顎の筋の円滑な活動が阻害されるので、非生理的であり、矢状切歯路が矢状顆路よりも緩やかであるのは好ましくないとし、矢状切歯路傾斜度の範囲を矢状顆路傾斜度プラス0~25度に限局すべきである、と述べている。西(1989)によると、正常咬合者の矢状前方切歯路傾斜度と矢状顆路傾斜度との間に統計的に有意な相関は存在しない。両者の角度の差は-20~+40度の間に分布し、平均2.4度で後者のほうがわずかに急な傾向が認められる。
従来切歯路の臼歯離開量への影響度は顆路に比べて軽視されてきたが、保母ら(1995)の運動学的解析により、前方運動中の矢状顆路と矢状切歯路の臼歯離開量への影響率は第1大臼歯において1:3、第2大臼歯において1:2で、矢状切歯路の臼歯離開量への影響率が矢状顆路の2~3倍に達することが明らかとなり、従来切歯路より顆路を重視してきた考え方を逆転させなければならなくなった。
⇒切歯路