スピーの湾曲
- 【読み】
- すぴーのわんきょく
- 【英語】
- Curve of Spee
- 【辞典・辞典種類】
- 新編咬合学事典
- 【詳細】
- 下顎の切歯切端と、犬歯尖頭と、臼歯部歯列の頬側咬頭頂とを結び、これを矢状面に投影したときに現われる円弧。1890年、ドイツの解剖学者Speeにより発見されたため、この名がある。GPT-6では“歯の咬合的排列によって規定される解剖的湾曲。下顎犬歯の尖頭にはじまり、小臼歯と大臼歯の頬側咬頭を通り、下顎枝の前面を経て顆頭の最前部に至る湾曲。ドイツの解剖Speeによりはじめて記述された。前後的湾曲anteroposterior curveとも呼ばれる”。と定義されている。Speeはこの円弧は顆頭の前縁を通り、その中心は眼窩内涙骨上縁付近にあり、下顎の偏心運動は、この点を中心として振子状に行なわれると主張した。そのためこの学説は“振子運動説”とも呼ばれている。Speeは、この運動と調和させるように歯を排列させる必要があり、もし咬頭干渉などによりその調和が乱されると、均一なバランスド・オクルージョンは得られないと述べている。この学説はやがてProtheroらによって反論されるが、“スピーの湾曲”は“ボンウィル三角”とともに長く歯科界で信奉され、その後に登場する咬合論に大きな影響を与えた。しかし有歯顎者の咬合としてバランスド・オクルージョンが否定されている今日、この湾曲のもつ補綴学的意義は少ない。
骨学的解析によると、アキシス平面を水平基準面として正常被蓋の前歯をもつ歯列模型を咬合器上にマウントした場合には、スピーの湾曲は中切歯から第2小臼歯のあたりまでほぼ水平で、その後遠心に向かうほど上方に離れてゆく(高山ら 1993)。正常咬合を有し顎関節に異常のない成人男子25名の下顎歯列模型の歯の位置を、アキシス平面を基準として上下的および近遠心的(前後的)に計測した研究によると、平均的なスピーの湾曲は切歯点から第2小臼歯までは犬歯がわずかに(平均0.4mm)上突している以外はほとんど水平基準面と平行になった。第1大臼歯の近心頬側咬頭からやや上方に立ち上がりはじめ第1大臼歯の遠心頬側咬頭から第2大臼歯の遠心頬側咬頭にかけて急な立ち上がりをみせた。スピーの湾曲を円弧で近似させて半径を求めると、切歯点から第1大臼歯付近までに適合させたときの半径は220mmで、切歯点から第2小臼歯までと第2大臼歯付近とでよく適合するようにしたときの半径は180mmであった(五島ら 1993)。
河野ら(1988)は、顎関節症患者のうち、非作業側咬頭干渉を咬合調整により削除することによって症状の治癒をみた20症例につき、側方運動中の作業側および非作業側の咬合接触状態を調査している。その結果に基づき、非作業側咬頭干渉の発現要因として、1)天然歯列において矢状方向の咬合湾曲(スピーの湾曲)が急な場合、2)歯列内臼歯部に生じた欠損部位を長期間放置したため、対合歯の挺出や隣接面の近心傾斜を生じた後に、補綴処置が行われた場合、3)犬歯の低位唇側転位や小臼歯の頬舌側転位が天然歯列の前方に存在し、それにともない生じた歯間空隙のために後方臼歯群が近心傾斜した場合の3つをあげ、それらの要因によって後方歯の矢状有効咬頭傾斜角が急になると臼歯離開量が減少し、矢状有効咬頭傾斜角が対合歯の矢状咬頭路傾斜度より大きく(急に)なると非作業側咬頭干渉を生じる、という内容の知見を述べている。ちなみに上記1)~3)の要因はいずれも結果的に臨床所見として、急峻なまたは排列の乱れたスピーの湾曲として発現する。
従来スピーの湾曲は矢状クリンテンゼン現象を防止するために自然が与えた機序と目され、総義歯の調整時に前後的調節湾曲を与えることにより総義歯の安定を図ってきた。矢状クリステンゼン現象は無歯顎患者に咬合面の平らな咬合堤を装着して前方運動を行なわせたときに、上下顎の咬合堤の臼歯部に三角形の隙間が現われる現象で、その隙間は前方顆路傾斜度が大きいほど大きくなるとされている。この機序は下顎運動理論式を用いた運動学的解析により解明され、クリステンゼン現象を完全に防止するために必要なスピーの湾曲半径と前方顆路傾斜度との関係式が導き出されている(高山 1987)。しかし、有歯顎者では総義歯の場合と相違し、前歯被蓋により下顎切歯点は水平運動を行なわず前下方に移動するため上記の機序はなり立たない。したがって有歯顎者において自然がスピーの湾曲を必要とする理由はクリステンゼン現象の防止以外の生体力学的性格のものであろうと考えられる。近い将来有歯顎者におけるスピーの湾曲の必要性の機序が解明されることが期待される。
⇒咬合湾曲