側方運動
- 【読み】
- そくほううんどう
- 【英語】
- Lateral mandibular movement
- 【辞典・辞典種類】
- 新編咬合学事典
- 【詳細】
- 一方の顆頭が下顎窩内で回転し、他方の顆頭が前下内方へ滑走することによって発生する下顎全体の旋回様の横ずれ運動。GPT-6では、下顎の外側方への平行移動を意味するマンディブラ・トランスレイションmandibular translationと同義語あつかいし、側方運動の側方旋回(回転)成分を無視した印象を与えている。GPT-6の側方運動関連用語には随所にこのように混乱がみられる。
側方運動中に下顎が移動する側を作業側と呼び、その反対側を非作業側という。側方運動は運動学的には下顎の作業側へのわずかな移動をともなった側方旋回運動である。また非作業側の顆頭が作業側の顆頭よりもはるかに大きく運動するため、側方運動は片側方向への非対称的な運動となる。
側方運動は下顎の基本的な運動のひとつで、咀嚼運動時の臼磨運動と類似性をもつため、古くから研究の対象にされてきた。19世紀の後半に、Bonwillは側方運動時に非作業側の顆頭が前進することをすでに知っており、非作業側の顆頭が水平に移動し、作業側の顆頭が回転する機構をもったボンウィル咬合器を開発した。Walkerは、クリノメータという顆路測定装置を使って、側方運動時に非作業側の顆頭が前下方に移動し、作業側の顆頭が後上方へ動くことを調べている。1896年ごろ、Ulrichは写真法によって下顎運動の研究を行ない、側方運動の初期に、下顎は全体として1.5~3mm程度作業側方向へ動き、つづいて非作業側の顆頭は前下内方へ移動し、また作業側の顆頭は後上方へ動くことを調べ、今日でいうサイドシフトの存在を最初に記載している。今世紀の初頭に、Christensenは顆路傾斜と咬合彎曲の関係を研究して、クリステンゼン現象を発見した。この原理はチェックバイト法に応用され、AmoedoやHanauによって臨床術式化されている。
側方運動の研究史上、画期的な業績を残したのはGysiであろう。Gysiはこれまでの側方運動の研究が、下顎の運動経路を対象としていたのに対して、側方運動時の切歯路に注目し、顆路と切歯路の両方から側方運動を解析した。Gysiの側方運動についての考え方は、軸学説(1929)で示されている。Gysiは、顆頭点と切歯点で測定した側方運動路に対して、それぞれに垂直平面を設定して、その交線を側方咬合軸と名づけた。そして側方運動は、すべて、この軸の回りの回転によって行なわれると説明している。Gysiは、この軸の位置を幾何的な作図法によって求めている。さらに、下顎の運動要素が人工歯の咬合面に及ぼす影響を詳細に追及して、咬合小面学説を発表している。そして、この理論に基づく人工歯を開発し、またトゥルーバイト咬合器、シンプレックス咬合器など数多くの咬合器を開発している。Gysiの理論は、学理と臨床術式をかね備えた咬合理論として発表以来、30年以上にわたって補綴学界の主流を占めたが、側方運動という立体運動の解析に4つの下顎運動要素(矢状顆路、矢状切歯路、側方顆路、側方切歯路)のみを用いたところに問題があった。剛体の運動を空間的に一義的に決定するためには6つの運動要素が必要であり(真柳 1977)、後年にGysiの理論は、Fischer、Kurth、鵜養、長谷川らによって批判や修正を受けることになる。Fischerは有歯顎者の側方運動は、Gysiの側方咬合軸と両側の顆頭を結んだ顆頭間軸を回転軸とした2つの回転によってなり立つとし、この理論は2重軸学説と名づけられた。この学説はGysiの軸学説を発展させたものであるが、2軸による運動様式が複雑で理解しにくかったため広く認められるには至らなかった。このころより、側方運動における回転軸の有無が論議されるようになった。
1921年、McCollumはヒンジアキシスの存在を実証した。McCollumはすべての下顎の矢状面内運動を、ヒンジアキシスの回転と移動によって説明しようとしたが、ヒンジアキシス理論を側方運動にまで発展させることはできなかった。McCollumはStuartらの助けを借りて、パントグラフと呼ぶ精密な口外描記装置を製作し、側方運動の実体を調べ、この方面の研究を飛躍的に進歩させた。パントグラフの測定結果から、ヒトの顆路の曲線と傾斜度は多種多様に及び、とくに、ベネット運動の方向と運動経路および発生時期は個人差が激しいということが判明した。McCollumは、このような複雑な下顎運動を正確に再現するために、1934年にナソスコープという全調節性咬合器を開発し、オクルーザル・リコンストラクションへの道を開いた。これらのMcCollumの業績は、もっとも精巧な有歯顎の補綴法として、今日の補綴臨床に多大の影響を与えている。
一方、1968年、石原門下の河野は、すべての下顎矢状面内運動の中心となる軸である全運動軸を発見したが、すべての側方運動について中心となる軸が存在するかどうかは不明であった。1995年、保母、高山は実験的解析結果に基づいて、側方運動の運動学的構成が、1)作業側顆頭中心を通る側方旋回軸を回転軸とする側方旋回、2)顆頭間軸を回転軸とする蝶番回転、3)マンディブラ・トランスレイションによる平行移動、4)作業側顆点中心(原点)の前後および上下方向への偏位からなる6自由度運動であることを明らかにした。
側方運動は習慣性側方運動と境界側方運動とに分けられる。習慣性側方運動は咀嚼時の機能運動の終末に現われる運動で、そこに空口時の側方滑走運動を含むため、重要な運動とされている。しかし、習慣性側方運動は自由で、同一の軌跡を通ることが少ないためその経路は複雑で、1つの決まった運動経路としてとらえることはできない。一方、境界側方運動は、同一の軌跡を通る再現性の高い運動であるため、側方運動の研究や咬合器の運動の調節に利用される。
側方運動が咬合に関係するのは、中心位または咬頭嵌合位から犬歯尖頭咬合位までの側方滑走運動路である。最近の知見によると側方運動における切歯点の左右的な最大移動量(ポッセルトの運動範囲菱形柱の左右長)は片側で約10mmであるが、咬頭嵌合位から犬歯尖頭咬合位まで上下顎歯が接触滑走する間に非作業側の顆頭および前歯が移動する直線距離はそれぞれ4.1±1.0mmおよび5.0±1.0mm(中野 1976)、3.7±1.1mmおよび4.1±1.1mm(保母ら 1993)で両者の間に大きな差はない。
側方運動中に顆頭点の示す運動経路を側方顆路と呼ぶ。その運動経路は作業側と非作業側でその様相が異なっている。側方運動中に作業側の顆頭は回転しながらわずかに外方へ移動する。この移動は従来ベネット運動と呼ばれてきたが、GPT-6ではlaterotrusionという名称に変わり、ベネット運動は不適切用語になっている。作業側顆路の外方移動は1mm前後のわずかなものである(Lundeen 1973)が、咬合面の形態に及ぼす影響が大きいため、咬合学上とくに重視されてきた。この運動によって、側方運動中に下顎は全体として作業側にずれる。このずれはサイドシフトと呼ばれていたが最近マンディブラ・トランスレイションという呼称に変わった。サイドシフトがどのような原因で発生するのか明らかではないが、Guichet(1970)は作業側の関節包の靭帯の弛緩や伸張によって、側方運動時に顆頭が関節包の緩みがなくなるまで外方に移動するために発生するのではないかと述べている。作業側顆路は、水平面内で前側方に向かうか、後側方に向かうことがあり、また前頭面内では上側方に向かうか、下側方に向かうことがある。この運動の方向、経路、発生の時期には個人差が多いが、平均的にはトランスバース・ホリゾンタルアキシスに沿って外側方に向かい、その大きさは非作業側顆頭の3mm移動時に平均0.73mm、5mm移動時に1.06mmである(保母 1982)。波多野とClayton(Hatanoら 1989)は、機械式パントグラフを用いて正常者とクリック既住者の作業側顆路を計測し、前者では平均0.55mm、後者では0.93mmで、両者間に有意の差(p<0.001)を認めた、と述べている。
側方運動中に非作業側の顆頭が前下内方へ向かうようすを水平面に描かせると、2つの異なった性質をもつ経路が現われる。その1つはこの運動の初期に出現する正中方向へのわずかな横ずれで、イミディエイト・サイドシフトと呼ばれる。他の1つはイミディエイト・サイドシフトの終了後、作業側の顆頭の回転にともなって起こる。前下内方への比較的まっすぐな移動量の多い運動経路で、これはプログレッシブ・サイドシフトと呼ばれる。咬合器上では、イミディエイト・サイドシフトは水平面の非作業側顆路上にmm単位で表され、この値は平均0.42mmである(保母 1982)。波多野とClayton(1989)は、機械式パントグラフを用いて正常者とクリック既住者のイミディエイト・サイドシフトを計測し、前者では平均0.23mm、後者では平均0.49mmで、両者間に有意の差(p<0.01)を認めた、と述べている。プログレッシップ・サイドシフトは正中矢状面に対する角度で表され、その平均値は7.5度で個人差はあまりみられない(Lundeen 1973)とされてきたが、この値は後になって保母により非作業側顆頭中心に測定点をおくと12.8度となり約1.5倍になることが指摘された。この相違は、機械式パントグラフの描記針が顆頭中心から離れたところにあるため顆頭中心から描記針までの距離に反比例して角度が小さくなったことに原因する。イミディエイト・サイドシフトとプログレッシブ・サイドシフトの組み合わせは、側方運動のタイミングと呼ばれている。非作業側におけるイミディエイト・サイドシフトとプログレッシブ・サイドシフトを合わせた総サイドシフト量と作業側におけるベネット運動の外側方移動量は互いに等しい(保母 1982)。
側方運動中に、非作業側の顆頭は前下方に斜めに下降する。この運動経路を矢状面に描かせたものを矢状側方顆路と呼ぶ。従来矢状側方顆路は前方運動中に描かれる矢状前方顆路より長く、水平基準面に対する角度も急であるとされてきた。また矢状側方顆路と矢状前方顆路の角度的な差はフィッシャー角と呼ばれ、その平均値は5度とされてきた。
フィッシャー角を共通の電子的計測データ群について比較するとその平均値は-0.1度となり、最近の電子的研究によればフィッシャー角の平均値はほぼゼロになることが明らかとなった(保母、高山 1994)。このような結末になった理由は、従来用いられていた機械式パントグラフによる測定では顆頭の外側におかれた描記板でトレーシングが行なわれていたため、前方顆路よりも側方顆路のほうが経路が長く傾斜も大きめになる傾向があったためと考えられる。
矢状側方顆路が水平基準面となす角度を、矢状側方顆路傾斜度と呼び、アキシス・オービタル平面を基準としてその平均は45~50度である(Lundeen 1973)。電子的計測による矢状側方顆路傾斜度の平均値は、カンペル平面を基準として36.0度(中野 1976)、軸鼻翼平面を基準として30.7度(西ら 1992)、アキシス平面を基準として40.5度(保母ら 1992)であり、アキシス平面に換算した3者の平均値は約41度である。
側方運動時に、切歯点によって描かれる運動路は側方切歯路と呼ばれ、これを水平面に投影すると、ゴシック・アーチが描かれる。左右の側方切歯路が水平面で互になす角度(ゴシック・アーチの展開角)を水平側方切歯路角と呼び、その平均は120度である。ゴシック・アーチ描記法は、総義歯の咬合採得の手段として、日常臨床に利用されている。側方切歯路を矢状面に描かせることは困難で、また臨床的意義も少ないと考えられている。前頭面に描かれる側方切歯路が水平面となす角度は前頭側方切歯路傾斜度と呼ばれ、Fischerにより、その意義が主張されたこともある。その運動路は特徴ある屋根型をなし、その頂点は咬頭嵌合位を示し、左右の斜線は、側方滑走運動路を表している。この運動路は、接触滑走する歯の種類や形態によって異なり、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンでは、上顎犬歯の舌面の形態を反映し、グループ・ファンクションド・オクルージョンでは、作業側の上顎頬側咬頭の内斜面の形態の影響を受け、またバランスド・オクルージョンでは、作業側の上顎頬側咬頭の内斜面のほか非作業側の咬頭傾斜も関係してくる。
電子的計測による水平側方切歯路角の平均値は150度(中野 1976)または143度(西ら 1992)で、いずれもGysiがゴシック・アーチの展開角として示した120度よりも20~30度大きい値を示している。この相違は、ゴシック・アーチ・トレーシングでは標点(描記針)が水平面(描記板)上を滑走することになり、上顎犬歯の口蓋面上を下顎犬歯の尖頭が滑走する上下顎歯接触条件下の下顎運動と相違するためであるが、両者の頂点(アペックス)は一致するので、ゴシック・アーチ・トレーサの効能には変わりなく、また実角でみると両者の計測値の間に大きな開きはない。
前頭切歯路傾斜度(側方切歯路の前頭面投影が水平基準面となす角度)は従来重視されなかったが、臼歯の咬頭形状と密接に関連する非常に重要な咬合要因であることが認識されるようになった。その電子的計測値は平均30.9度(中野 1976)または31.6度(西ら 1992)でいずれも約31度という値が得られている。矢状側方切歯路傾斜度の咬合要因としての重要性は小さいが、その電子的計測値は平均62.7度(中野 1976)または59.2度(西ら 1992)で、いずれも約60度である。側方運動時の切歯路は、近年、マンディブラ・キネジオグラフやシロナソグラフに加え6自由度の電子的下顎運動計測装置の開発によって、かなり正確に分析されるようになっている。
習慣性側方運動は咀嚼時の終末に現われる運動で、空口時の側方滑走運動を含むため重要視されている。しかし習慣性側方運動は自由で、同一の軌跡をとることが少ないため、1つの決まった運動経路としてとらえることはできない。
大久保ら(1992)は、被験者5名の歯列模型の3次元立体計測データと6自由度下顎運動計測データを組み合わせて、コンピュータ・グラフィック・ターミナル上で上下顎歯列の咀嚼運動を再現させ、咀嚼運動中の咬合接触状態を解析している。その結果、咀嚼運動の初期には咀嚼側よりも非咀嚼側に強い咬合接触を認めることがあり、その部位は側方滑走運動中の非作業側で咬合接触を認められる部位あるいは上下顎クリアランス(臼歯離開量)が小さい部位であった。大久保らは、側方滑走運動中の非作業側でわずかながら臼歯離開を示す部位が咀嚼運動中の非咀嚼側で咬合接触状態になるのは、咀嚼側に食物の介在する状態で咀嚼運動中の非咀嚼側に強い咬合力が発現しているためと考えられる、としている。
⇒下顎運動