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咀嚼

【読み】
そしゃく
【英語】
Mastication
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
食物を剪断、圧砕して、食塊を形成するための消化の一過程、咀嚼の意義には次のようなものがあげられる。1)食物を剪断、圧砕して消化を助長する。2)食塊を形成して嚥下を容易にする。3)消化液の分泌を促進する。4)顎口腔系の健全な発育や健康状態の保持に役立つ。5)心理的な咀嚼欲求を満足させる。顎口腔系の咀嚼という機能を重視して咀嚼系または咀嚼機構masticatory systemと呼ぶこともある。
咀嚼に関与する器官には、咀嚼筋とその関連筋、歯、舌、口唇や頬、唾液腺、顎関節などがある。これらの諸器官は複雑な神経筋機構により巧妙に調節され、咀嚼が円滑に行なわれるよう協調して働いている。咀嚼機能を調節統合している中枢は上位中枢と下位中枢とに分けられる。上位中枢は末梢から伝達された情報を統合して目的にかなった運動を指令する役割りをもっている。これには大脳皮質の咀嚼運動領、食中枢である視床下部‐扁桃核部が主に関与している。前者は他の大脳や中脳および小脳の機能と協同し、下顎位や下顎運動の調節および咀嚼運動を統合する重要な機能を分担する。後者は摂食その他の原始的な欲求や行動を支配する。下位中枢は無意識的な反射機構に主として関係する中枢で、咀嚼機能を反射的に調節する役割りをもっている。これには橋や延髄に存在する三叉神経運動核、舌下神経核などがある。これらの中枢神経には、口腔とその周辺にある末梢の感覚受容体から発せられた求心性インパルスが三叉神経、鼓索神経、舌咽神経などの求心性神経線維を介して伝達されて、反射的に咀嚼筋およびその関連筋に運動を指令する。
咀嚼機能は主に咀嚼筋の活動によって営なまれる。咀嚼筋は頭蓋と下顎を結ぶ強大な筋で、これには咬筋、側頭筋、内側翼突筋、外側翼突筋、顎二腹筋などがある。咀嚼筋の随意運動はすべて三叉神経第3枝の支配を受けている。また、咀嚼筋の反射運動は、筋内にある筋紡錘や腱にあるゴルジ腱受容体などの固有受容体からの固有受容体性の反射あるいは歯根膜、口腔粘膜、顎関節からの求心性情報により行なわれるが、筋膜からの触圧感覚や痛覚も咀嚼の筋活動に関与している。歯は食物を補捉し、これを剪断して圧砕し、嚥下可能な食塊にする役割りをもっている。また、歯根膜には触覚および圧覚を感知する受容体が存在し、咀嚼力を反射的に調節して咀嚼を円滑にしている。舌は咬合面に食物を運び、剪断、圧砕された食物を唾液と混合して食塊を形成する働きをする。また、舌は味覚を感じて反射的に唾液を分泌させ、食中枢を刺激するように作用し、さらに食物に混入した異物をみつけて口腔外へ排棄する機能もある。舌の随意運動は舌下神経によって支配されているが、舌の味覚は顔面神経鼓索枝および一部舌咽神経の支配下にあり、その他の感覚は、三叉神経舌枝および舌咽神経によって支配されている。しかし、舌の咀嚼時の複雑な運動は一部固有受容体の反射によって制御されているとも考えられるが、実際にはヒトの舌筋の筋紡錘は少なく、舌表面が口腔各部に触れることによる味覚がフィードバックして舌の位置および舌運動の調節を行なうと考えられている。口唇や頬は食物の摂取にあたって補助的に働き、摂取した食物が口腔外へもれないようにする機能をもっている。また、口腔前庭に入った食物を咬合面に運ぶ役割りもしている。口腔内圧は口唇、頬、舌の働きにより保たれている。口唇や頬の随意運動は顔面神経によって支配され、その感覚は三叉神経の第2枝と第3枝とによってそれぞれ支配されている。唾液腺は唾液を分泌して食塊の形成を助ける。唾液中には消化酵素である唾液アミラーゼが含まれ、澱粉を分解して生化学的な消化作用が営まれる。咀嚼時に分泌される唾液をとくに咀嚼反射唾液と呼び、また味覚反射によって分泌されるものを味覚反射唾液と呼ぶ、唾液腺の分泌中枢は延髄にあり、その分泌は中枢によって調節されているが、むしろ反射的に分泌されることのほうが多い。顎関節は咀嚼に際して下顎の固定点となり下顎を安定させる働きをもっている。顎関節には固有感覚受容体が存在し、反射的に顎口腔系の諸機能を調節している。
咀嚼は食物を介在した状態での上下顎歯の嵌合によって行なわれるので、咀嚼力や咀嚼能率については従来から多くの報告がなされている。咀嚼力は食物の性状や咀嚼の時期によって異なる。臼歯部における咀嚼力を測定した実験によれば、咀嚼ストロークに対する咀嚼力は上下顎歯の咬合面間距離の減少にともなって増大し、咬合面間距離がもっとも近接したとき最大となり、最大咀嚼力が発揮されるのは咬合面距離が1mm前後を示したときであるといわれている。普通、最大咀嚼力は10kg内外で、空口時の最大咬合力よりも小さい。覚道によれば最大咀嚼力は最大咬合力の1/2、平均咀嚼力は最大咬合力の1/6あるいはそれ以下である。また、特定の歯に加わる咀嚼力はPosseltによれば2kg/mm2と比較的小さい。
咀嚼の能力は歯数、咬合面の形態、歯周組織の状態などによって変化するので、咀嚼効果の判定は困難であるが、一般には咀嚼能率がその判定に利用される。咀嚼能率の測定法は、咀嚼する食物の粉砕粒子の数や分布状況により判定する篩分法、咀嚼する食物の消化状態によって生化学的に判定する方法などがある。篩分法は、一定の食物を咀嚼回数を定めて咀嚼させ、10meshから200meshのふるいにかけて調べる方法で、全摂取量に対するmeshを通過した量の%で表し、この値は咀嚼値と呼ばれている。咀嚼能率は、咀嚼指数(-1/N log S/100:Nは咀嚼回数、SはNに対するふるい上%)を求めて、正常者の咀嚼指数を100%としたときの被験者の%で表す。すなわち、第1大臼歯が喪失すると咀嚼能率は50~60%に減少する。また、1歯欠損のブリッジの装着により30%程度の咀嚼能率の回復がみられ、全部床義歯の装着者では平均咀嚼能率は30%程度といわれている。咀嚼する食品の消化状態によって咀嚼能率を判定する方法には、唾液アミラーゼの澱粉分解能力から調べる方法と、咀嚼時の生成糖量および溶出者の質量の測定から、判定する方法とがある。
人工歯の咬合面形態が咀嚼能率に及ぼす影響については種々の意見があり、定説をみないが、Thompson、Tranpozzano、Payneらは解剖学的な咬合面形態をもつ人工歯は非解剖学的な咬合面形態をもつ人工歯よりも咀嚼能力が優れていると述べている。
最近、咀嚼運動と脳の血流との間に統計的に有意な正の相関が認められ、咀嚼により脳の血流が増加することが確かめられた(船越 1989)。これはよく噛むことが成人病の予防とボケの防止につながることを示唆しており、全身と咬合との関係が注目されている。
⇒全身と咬合