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ナソロジー

【読み】
なそろじー
【英語】
Gnathology
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
顎口腔系を機能的に一単位として研究、治療することを目的とする学問。保母により顎咬合学という和訳がつくられている。1920年代にアメリカのMcCollumとStallardによって創唱された。Gnathologyは顎を表す接頭語であるGnathoと学問を表す接尾語logyを結びつけた用語で、Stallardにより造語された。McCollumはナソロジーを“顎口腔系に関する解剖学、組織学、生理学、病理学を取りあつかい、診査、診断、治療計画を基礎とし、顎口腔系の治療を行なう科学”と定義している。McCollumは、それまでの歯科医学が個々の歯の疾患のみに注目し、よい歯科医療とは美しい充填や補綴を意味するという誤った思想を植えつけ、口腔のもつ機能的な役割である、咀嚼機能の重要性にあまり関心をはらわなかったと述べ、機能回復の重要性を強調した。フルマウス・リコンストラクションに代表されるナソロジーの治療法は、顎口腔系を機能的な1つの単位としてとらえ、その調和を図ることを目的とし、歯科医療の範囲を個々の歯から咀嚼に関係する組織、器官のすべてを含む範囲にまで拡大した。McCollumによれば、歯は咀嚼機能を遂行するための道具にすきず、個々の歯を治療することも大切であるが、それよりも歯列の果たすべき役割りが完全に遂行されるよう、その機能を管理することが歯科のもっとも重要な役割りであり、その機能とは、他ならぬ咬合である、と述べている。
ナソロジーの理論は有歯顎者を対象として考え出されたもので、有歯顆者では下顎運動の測定装置を歯列上にしっかりと固定できるため、測定値は優れた精度をもち、無歯顎者を対象とした計測では到達できなかったレベルで種々の問題を究明できるようになった。従来の下顎運動の研究は、運動の原点を精密に設定せずに行なわれたため、そのデータは漠然とした意味しかもたなかった。1921年に、McCollumはヒンジアキシスの存在を実証し、これにより下顎運動の測定に明確な原点を設定できることになった。1926年、McCollumはStallard、Stuartら13名をメンバーとしてカリフォルニア・ナソロジカル・ソサエティーを設立し、1929年にはパントグラフの先駆となった、ナソグラフと呼ぶ口外法測定装置を開発、1934年には、今日の全調節性咬合器の原型となった、ナソスコープを完成した。これらの発明はナソロジーの初期の大きな功績であり、これにより下顎運動が急速に解明されるようになった。
ナソロジーの学理の根本は、ヒンジアキシス理論にあるといっても過言ではないだろう。ヒンジアキシスを下顎運動の原点と考え、これを測定して咬合器に移し、中心位を再現している。ナソロジーでは一貫して、中心位を下顎のもっとも重要な機能位としており、フルマウス・リコンストラクションの際にこれを基に咬合位を定めている。
McCollumらは、偏心位の理想咬合として、最初バランスド・オクルージョンを支持していた。しかし、この咬合を与えた症例の大半が失敗に終わることに気づき、バランスド・オクルージョンに疑問を抱くようになった。Stallardは、高齢にもかかわらず、ほとんど咬耗のない鋭利な咬頭をもつヒトが稀にみられ、そういう理想的な咬合をもつヒトの口腔を精密に検査してみると、偏心運動中に前歯にガイドされて臼歯部歯列が上下的に離開し、また咬頭嵌合位では前歯は約25μ程度の間隙をもち、臼歯部歯列だけで垂直方向への荷重を負担していることを知った。理想的な咬合では、前歯が臼歯を保護し、臼歯が前歯を保護する作用が働いていることを観察し、この咬合様式をミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンと名づけた。ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンという言葉は、その後、Stallard自身によって、オルガニック・オクルージョンという言葉に改められたが、あまり普及しなかった。
1949年にThomasはカスプ・フォッサ・ワクシング法と呼ぶ、機能的咬合面形成法を開発した。この咬合では臼歯は1歯対1歯の関係で咬合し、各機能咬頭が対合歯の咬合面窩と3点で接触するという、厳密な条件が課せられている。このようにして、1950年代の初期には、ナソロジーは新たに有歯顎の理想咬合像を定め、大幅な方向転換を果たした。しかし、Grangerのようにバランスド・オクルージョンを擁護しつづけたものもあり、その後20数年にわたり、ナソロジーの派閥発生の原因となった。このようにして、ナソロジーは過去50年間に学理面ではMcCollumとStallardに、機械面ではStuartに、臨床面ではThomasによって、その基盤が固められた。オーソドックスなナソロジーは、次にあげる特徴を備えている。
1)ターミナル・ヒンジアキシスを実測し、これを咬合の原点とする。
2)パントグラフを使って顆路を測定する。
3)全調節性咬合器を使用して下顎運動を再現する。
4)中心位を機能的咬合位とする。
5)全口腔を同時に修復し常にフルマウス・リコンストラクションを治療の終着目標とする。
6)上下顎を同時に修復しファンクショナル・ワクシング法による1歯対1歯、カスプ・フォッサの咬合形式を与える。
7)ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンを理想的咬合とみなす。
8)金合金で鋳造したプロビジョナル・レストレーションを長期間仮着し、治療効果を確認する。
9)セメント合着に先がけ、最終補綴物を必ずリマウントして咬合を修正する。
ナソロジーは、診断から臨床術式まで理路整然とした学理を備えた補綴法であり、その特長は枚挙にいとまがないが、最大に評価されることは、ナソロジーが臨床にしっかりと結びついた理論であり、またその臨床成績がきわめて優れていることである。ナソロジーの大家といわれる人々の多くは、著名な臨床家として活躍しており、彼らのナソロジー的手法による臨床の成功例は数知れぬほど多く紹介されている。しかし反面、その術式が複雑で一般性に乏しく、不経済で社会性に欠けるという批判もある。この点を考慮してMcCollum、Stuart、Thomasにつづく次世代のナソロジストの間で1976年代より、術式を簡素化し、一般化させる方法が数多く試みられた。
Guichetは1968年にコンパクトな全調節性咬合器、デナーD4Aを開発し、ナソロジーの学理を学部教育のレベルに反映させることに成功した。またツー・インスツルメント・システムを考案し、歯科医と技工士間のナソロジー的コミュニケーションを確立した。ターミナル・ヒンジアキシスの実測を必要としない症例のあることをあげ、またパントグラフの描記ラインに咬合器の運動量を合わせる術式も簡略化している。過補償再現の理論は、ナソロジーの簡素化をめざして考え出されたもので、パントグラフで測定されたラインに正確に合わせて咬合器の運動量を調節する代わりに、生体の運動量よりも咬合器の運動量がやや多めになるように調節することにより、咬合器上で製作される補綴物が、口腔内で咬頭干渉を起こさなくなり、為害作用の少ない補綴物がつくれるとする理論である。
Thomasが主張しているカスプ・フォッサの咬合関係は上下顎を同時に補綴するフルマウス・リコンストラクションにはよいが、対合歯を処置せず片顎だけ補綴するような場合はそれを付与するのが困難なことが多い。これに代わるもとしてLundeenはカスプ・リッジの咬合関係をすすめ、そのワックス形成法として、Payneのファンクショナル・ワクシング法を推奨している。こうしてナソロジーは、パイオニアたちの手を離れ、新しい方向に向かうことになった。
1973年、CelenzaはRUMポジションと最大嵌合位を精密に一致させた32のフルマウス・リコンストラクション症例を術後2~12年間追跡し、RUMポジションと最大嵌合位が一致したのは2症例にすぎなかった、と報告した。そして、下顎窩のなかで顆頭が対向すべきなのは、ストレスに弱い後上方壁ではなく、関節円板の介在する前上方壁であるという主旨の見解を述べた(1973、84)。この見解がコンセンサスを得て、GPT-5(1987)では中心位の定義は最後退位から前上方位に修正された。
一方、理想咬合のコンセプトがバランスド・オクルージョンからミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンへ変わるにともない、臼歯離開の再現に関心が向けられるようになった。その発現に前歯誘導が関連することが認識され下顎三角のもう1つの頂点である前歯誘導が注目されるようになった。ナソロジーの未解決の課題は、いかにしてこの前歯誘導を制御し、臼歯離開を付与するかということに集約できる。しかし、従来ナソロジーが蓄積してきた研究方法では前歯誘導の問題を解決することはできなかった。Stuartが1982年1月に没する直前にこの課題の解決を、アメリカのMcHorrisと日本の保母に遣託した背景にはこのような経緯があった。
McCollumの時代には今日のような電子的技術は活用できなかったが、最近は3次元6自由度の電子的計測システムを用いることができるようになり、当時とでは計測ツールの性能の点で格段の違いがある。加えて保母の場合は歯科医の保母と物理学者の高山との間で学際的研究チームを組むことができたので、数学的ツールとして保母、高山の下顎運動理論式mathematical model of mandibular movement(高山 1987、Takayama、Hobo 1989)を用い、コンピュータ解析を進めることができた。歯科領域の研究成果は臨床に応用して効果のあるものではなければならない。その観点から当初は顆路重視の立場に立ち臨床ツールとしてのコンピュータ・パントグラフや全調節性咬合器の開発に血道を上げた(Hobo 1983)。しかし、それらによる臨床上の効果は顕著なものとはいえなかった。顆路を測れば測るほど顆路にはぶれがあり、そのぶれが切歯路によりある程度制御可能であることがわかってきた。このようにして顆路を咬合の基準として重視するMcCollum以来のコンセプトに重大な疑問を生じた。
顆路の臼歯離開量への影響は従来考えられていたよりもはるかに小さく、切歯路の臼歯離開量への影響の1/2~1/4であることが理論的解析により明らかになった。こうなると顆路を咬合の基準とするコンセプトに執着してはいられなくなる。そこで臼歯離開量への影響が比較的大きい切歯路が、咬合の基準となるか否かについて検討した。その結果、切歯路も個体間に大きなバラツキを有するため、独立した咬合の基準としては不適格である、という結論になった。そこで最後に残ったのは咬頭傾斜だけということになった。金沢ら(1983)が小学生の診断模型につきモアレ法を用いて計測したデータを分析し、咬合面上の咬頭の高さや咬頭‐窩間距離のバラツキの平均値に対する比率は約10%であることがわかった。この値は顆路のぶれや切歯路のバラツキについての値の約4分の1である。
咬頭傾斜の信頼度は顆路や切歯路の約4倍であることが確認されたので、これを咬合の基準とする新臨床術式ツインステージ法が開発された。ツインステージ法はMcCollum、Stallard、Stuartが本来意図した通り中心位(ただし前上方位)を確立し、臼歯離開を正しく付与する、という方向に沿ったものである。中心位の再現についてはナソロジーの術式をそのまま踏襲している。しかし顆路の測定は行なわない。ツインステージ法の臨床評価テストを行なったところ、0.1mm以内の精度で口腔内に均一な臼歯離開が発現するという結果が得られた。あらゆる臨床術式は実用価値の有無をもって評価されるべきであろう。その意味でこの結果は評価せざるをえないと考える。
ツインステージ法がナソロジーの衣鉢をつぐものといえるか否かは歴史の評価を待たなければならない。しかし、時を同じくしてウィーン大学のSlavicekの指導するオーストリアン・ナソロジーが、膨大な研究成果を背景にコンピュータ・アキシオグラフを駆使した独自の臨床術式の開発を精力的に推進しつつあり、ナソロジーが新しい局面を迎えたことは明らかである。これらの新展開が、今後のナソロジーの姿を示唆することに、疑いをさしはさむ余地はないところであろう。