バランスド・オクルージョン
- 【読み】
- ばらんすど・おくるーじょん
- 【英語】
- Balanced occlusion
- 【辞典・辞典種類】
- 新編咬合学事典
- 【詳細】
- 咬頭嵌合位と下顎運動の全過程において、すべての歯が同時に接触するような咬合。フル・バランスド・オクルージョン、両側性平衡咬合とも呼ばれる。かっては、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン、グループ・ファンクションなどとともに天然歯の理想咬合のひとつに数えられたが、今日では総義歯のために理想咬合とされている。
バランスド・オクルージョンの特徴は、下顎の偏心運動時にすべての歯が同時に接触し、咀嚼運動中に発生する側方圧とストレスを各歯と左右の顎関節とが生理的に分担できる範囲まで軽減するために有効であると考えられている点である(Granger 1962)。バランスド・オクルージョンは咀嚼運動が垂直ではなく、水平的に発生するという学説を前提として樹立された。これに従えば咀嚼運動とは、歯にとって有害な水平圧を連続的に加える作用ということになる。このような水平圧を少数の歯に負担させることは歯周組織の擁護の立場から好ましくない。水平圧の為害作用を緩和するためには、この圧をなるべく広範囲な組織に分配して、各歯に加わる圧を生理的負担能力内にまで軽減するのがもっとも効果的な方法であろう。このような理由により、バランスド・オクルージョンでは咬頭嵌合位と下顎運動の全過程において、すべての歯の同時的かつ最大限の接触が要求される。そして咬合圧の分担を均等にすることにより、口腔の健康が維持されると考えた。
バランスド・オクルージョンは、ボンウィル(1985)三角と3点接触の理論、スピーの彎曲(1894)およびモンソンの球面説(1918)などが基盤となって樹立されたものである。バランスド・オクルージョンはこのような古典的下顎運動論を基盤としているため、その起源は前世紀までさかのぼる。補綴的理想咬合としてはもっとも初期に確立されたものといえよう。古典的下顎運動理論がそうであったように、このバランスド・オクルージョンも、はじめは総義歯のための咬合として発案された。しかし年月の経過とともに無歯顎、有歯顎を問わず、広い意味の理想咬合となり、今世紀のはじめにはこれが1つの既成概念となった。そのためMcCollum(1955)もフルマウス・リコンストラクションの理想咬合として、バランスド・オクルージョンを用いた。少なくとも理想咬合に関する限り、McCollumは当時の既成概念を無修正のまま受け入れたように思われる。この主張は、弟子のGrangerによって引きつがれ、Grangerは終生バランスド・オクルージョンを擁護した。
バランスド・オクルージョンに対する批判も少なくない。StallardとStuartは最初McCollumの教えを守り、バランスド・オクルージョンを用いた。しかし1950年代になって、バランスド・オクルージョンを与えた症例の大多数が失敗に終わったと報告し、このような咬合が果たして理想咬合といえるかどうか、疑問を抱くようになった。StallardとStuart(1958)はバランスド・オクルージョンについて、次のように述べている。“可能な限り多数の歯を下顎運動の全過程において接触させるという考え方は不合理である。たった2本の切歯が薄い繊維性の食物を切断しようとするときに、残りの歯を全部接触させるのは意味がない。そして片方の歯列で小さな食物の塊を噛むときに、わざわざ非作業側の全歯を接触させるということも、まことにぎこちないことである”。Lucia(1961)は12年間にわたり、フルマウス・リコンストラクションの症例にバランスド・オクルージョンを用い、同時に、20年間にわたってバランスド・オクルージョンを与えた他の術者の診療結果を観察した。大多数の患者は快適な咬合状態を獲得し、歯周組織の状態は好転し、顎関節障害は治癒し、その治療は成功したと考えられた。しかし少数の症例は術後5~10年間良好な結果を示した後、異常が発生し、中心位と咬頭嵌合位の間に不調和を生じた。Luciaはバランスド・オクルージョンの失敗の原因として、次の事項をあげている。
1)最大の原因は過度の咬耗によるものである。完璧に調整された咬合状態も、ひとたび咬合面に咬耗を生ずれば、そのとたんに外傷性咬合となる。咬耗は中心位と咬頭嵌合位の間の調和を乱し、側方運動時に非作業側の咬頭干渉を引き起こす。これが原因となってテコの作用を発生し、顎関節に為害作用を生じる。
2)カスプ・フォッサの関係は大臼歯部にだけ出現し、小臼歯の咬頭は対向する鼓形歯間空隙と咬合してテコを発生するため、歯の傾斜や離開が起こる。
3)咬合面の面積が大きくなり、対合歯との接触面積も増加する。
4)咬合が緊密すぎ、わずかな咬合面の変動が変形の原因となる。
5)切截ができない。
6)完全なバランスド・オクルージョンを得ようとすると、垂直顎間距離を大きくしなければならず、安静空隙が少なくなり、安静位を干渉する。
これらの失敗のうち、もっとも批判されるのは、上下顎歯の過度の接触により発生する咬耗であろう。これに対して、Granger(1962)は、偏心運動において咬頭どうしが衝突しないように、その咬合面の形態を調整すれば、咬頭の咬耗は起きないと述べている。しかし歯が偏心運動時に絶えず接触すれば、咬耗は避けられないと考えるのがごく自然であろう。
正常な歯周組織を有する天然歯列に完全なバランスド・オクルージョンをみつけられないのも、この咬合が批判される大きな理由である。稀にみられる天然歯のバランスド・オクルージョンは著しい咬耗の所産であり、このような咬耗は咬合の調和を乱す。たとえばバランスド・オクルージョンの一要件とされる非作業側の咬頭接触(クロス・アーチ・バランス)は、総義歯の安定に有効であるが、有歯顎では外傷性咬合の原因になるとして、その為害性が指摘されている(Ramfjord 1966、Posselt 1962)。
バランスド・オクルージョンが批判される他の点は、その製作の困難さである。バランスド・オクルージョンはその起源にさかのぼり、モンソンの球面説に基づいて付与する場合には、製作上とくに問題はない。しかし下顎の境界運動と調和させるように付与しようとすると、製作は著しく困難となる。Grangerもこの点を認め、全調節性咬合器上でバランスド・オクルージョンを与える場合、真のバランスは機能運動の範囲内で与え、極端な偏心運動において、歯の接触が消失するのはやむをえないと述べている。
以上の理由から、全調節性咬合器上で完璧なバランスド・オクルージョンを付与することは著しく困難といえる。今日、バランスド・オクルージョンは無歯顎に与えるべき咬合とされ、そのまま天然歯に与えることはできないという立場から、バランスド・オクルージョンを天然歯に用いることに反対する見解が一般的になっている。