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非作業側顆路

【読み】
ひさぎょうがわかろ
【英語】
Nonworking side condylar path
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
側方運動中に非作業側の顆頭が示す運動経路。GPT-6では、下顎が側方運動を行なうときに非作業側の顆頭が示す運動路で、矢状、水平、前頭の3基準面に投影して観察できる、と定義されている。側方運動は一方の顆頭が顎関節内で回転し他方の顆頭が前下内方に滑走することによって発生する側方旋回様の運動である。この運動中に下顎が回転する側を作業側と呼び、その反対側を非作業側という。側方運動は下顎の作業側へのわずかな移動をともなった不均整な旋回運動で純粋な回転運動ではない。非作業側の顆路は、運動の開始直後に現われる正中方向へのずれと、それにつづく前下方へ向かう移動とからなっている。この顆路は矢状面と水平面に投影すると理解しやすい。
矢状面に投影された側方顆路を矢状側方顆路と呼ぶ。矢状側方顆路は作業側と非作業側とでその様相が異なる。普通矢状側方顆路というと非作業側の矢状側方顆路を意味する。矢状側方顆路は、関節結節の後方斜面の形態と密接な関係をもっており、下方に凸の彎曲を示すことが多い。とくに有歯顎者では関節結節が高いので、矢状側方顆路もこれに沿って強い彎曲を描く。無歯顎者では関節結節の形態が平坦になるので、矢状側方顆路も平坦になる。最近の電子的研究においても矢状側方顆路が下に向かって凸の彎曲形状をなすという知見に変わりはないが、このような彎曲形状が顕著に現われるのは5~10mmの長さのトレーシングを描いたときで、補綴学的に重要なのは上下顎歯の咬頭頂が対向関係にある中心位から2~3mmの範囲である。この長さでは顆路はほとんど直線状になる。
矢状側方顆路が水平基準面となす角度を、矢状側方顆路傾斜度と呼んでいる。有歯顎者の矢状側方顆路がアキシス・オービタル平面となす角度は平均45~50度である(Lundeen 1973)。電子的計測による矢状側方顆路傾斜度の平均値は、カンペル平面を基準として36.0度(中野 1976)、軸鼻翼平面を基準として30.7度(西ら 1992)、アキシス平面を基準として40.5度(保母ら 1992)である。このように基準とする水平基準面が異なる矢状側方顆路傾斜度を比較するときは各水平基準面の傾きの相違を補正した換算を行なわなければならない。アキシス平面に換算した上記3者の電子的計測データの平均値は約41度である。ちなみにアキシス平面とは、トランスバース・ホリゾンタルアキシスと上顎右切歯切端から眼窩下点に向かい43mmの点を含む水平基準面をいう。アキシス平面を基準とした矢状顆路傾斜度をカンペル平面基準に換算するには4.3度、軸鼻翼平面に換算するには10.0度を元のデータから差し引けばよい。
矢状側方顆路と矢状前方顆路のなす角度はフィッシャー角と呼ばれ、機械式パントグラフにより測定した平均値は5度である。フィッシャー角を共通の電子的計測データ群について比較するとその平均値は-0.1度となり、フィッシャー角の平均値はほぼゼロになることが明らかとなった(保母、高山1994)。このような結果になったのは、従来用いられていた機械式パントグラフによる測定では顆頭の外側におかれた描記板でトレーシングが行なわれるため、前方顆路よりも側方顆路のほうが経路が長く傾斜も大きめになる傾向があったためと考えられる。
側方運動中に非作業側の顆頭が水平面内で示す顆路は水平側方顆路と呼ばれ、通常、正中方向に凸な彎曲をもっている。この顆路が正中となす角度は水平側方顆路角(ベネット角)と呼ばれ、Gysi(1929)によりその平均値は13.9度と報告されている。最近の電子的計測によると水平側方顆路角の平均値は15.1度である(中野 1976、保母 1982、西ら 1992)。水平側方顆路は2つの異なった性質をもつ運動経路に分けて考えられる。その1つはこの運動の初期に出現するもので、下顎が作業側に向かって横ずれするために現われる。この横ずれはイミディエイト・サイドシフトと呼ばれる。他の1つは、イミディエイト・サイドシフトの終了後、作業側の顆頭の回転にともなって起こる前下内方への比較的まっすぐな運動経路で移動量が多い。これはプログレッシブ・サイドシフトと呼ばれる。これらの用語は最近GPTでそれぞれイミディエイト・マンディブラ・トランスレイション、プログレッシブ・マンディブラ・トランスレイションと呼称変更された。
イミディエイト・サイドシフトの平均値は0.42mmである(保母 1982)。プログレッシブ・サイドシフトは矢状面に対する角度で表され、その平均は7.5度で個人差はあまりみられない(Lundeen 1973)とされてきたが、この値は後になって保母により非作業側顆頭中心に測定点をおくと平均12.8度となり約1.5倍になることが指摘された。この相違は機械式パントグラフの描記針が顆頭中心から離れたところにあるため、顆頭中心から描記針までの距離に反比例して角度が小さくなったことに原因する。イミディエイト・サイドシフトとプログレッシブ・サイドシフトの組み合わせは、側方運動のタイミングと呼ばれている。コンピュータ・パントグラフ(岩田ら 1984)を用いたくり返し測定結果によると、水平側方顆路は再現性が低く、被験者ごとに異なる範囲内で運動のつど種々の経路をとることがわかった(保母ら 1995)。
【最近の知見】
1)矢状顆路のぶれ
McCollum以来、顆路は個人において一定のもので、成人の間はほとんど変化することはないというのが歯科医学のなかで通念となっていた。しかし、最近になって前方顆路と非作業側の側方顆路では最大0.8mm程度のぶれがあると推測されるようになった(保母、一田、Garcia 1989)。保母、高山(1995)は3次元6自由度の計測能力をもつ電子的下顎運動計測装置を用い、正常咬合者の往路と帰路の矢状顆路を計測し、両者の間に定常的な相違のあることを見い出した。しかも帰路の顆路は必ず往路の上を通り、稀に両者が重なることはあっても、上下関係が逆になるものは一例もなかった。往路と帰路の矢状顆路の上下幅は前方顆路で平均0.44mm、非作業側の側方顆路で平均0.79mmであった。また往路と帰路の矢状顆路傾斜度の差を測定したところ、前方顆路で平均13度、非作業側の側方顆路で平均23度になることがわかった。従来パントグラフやチェックバイトで計測される顆路は往路であったため、このような事実が顕現しなかったものと考えられる。顆路の往路と帰路が相違するという新知見により、“顆路は固定不変ではなく、ぶれがある”ということが動かしがたい事実となった。
2)前歯誘導による作業側顆路の制御
機械式パントグラフによる測定では、作業側顆路はさまざまな方向に向かい矢状面内で偏位することが確認されている。しかし3次元6自由度の電子的下顎運動計測装置による計測結果から、平均作業側顆路はトランスバース・ホリゾンタルアキシス上を真横に向かうことがわかった。保母、高山(1995)は下顎運動理論式を用いたコンピュータ演算により、作業側顆路がトランスバース・ホリゾンタルアキシス上を真横に向かうという前提で求めた、咬合器の切歯指導板の調節値を算出した。その調節値に合わせた咬合器上で製作したレジン製ガイドテーブルを被験者の口腔内に装着し、電子的下顎運動計測装置を用いて側方運動を計測したところ、作業側顆路の矢状面内偏位(ぶれ)が平均約4分の1に減少することが確認された。また非作業側でもイミディエイト・サイドシフトが消滅する例が認められた。
従来、歯科医学では顆路は患者に固有のものとされてきたが、この事実から顆路が前歯誘導により制御可能であることが明らかになった。補綴学では咬合の基準として顆路を重視し、補綴物を製作するときは患者の顆路に調和させるよう配慮すべきだとされてきたが、この考え方が誤っていることがわかった。
3)顆路と切歯路の咬合への影響度比較
顆路と切歯路の咬合への影響度は、両者の臼歯離開量への影響度を比較することによって判定できる。
下顎運動理論式を用いたコンピュータ演算により求めた、顆路と切歯路の影響率をおおよその比で示すと、前方運動で1:2、側方運動の非作業側で1:3、作業側で1:4になる。以上から顆路の臼歯離開量への影響率は切歯路のそれの1/4~1/2であることがわかった。顆路の影響率が切歯路に比べはるかに小さいことから、顆路だけを基準にして良質な咬合をつくるのは不可能で、前歯誘導よりも顆路誘導を重視してきた従来の考え方を逆転し、むしろ影響率の大きい前歯誘導を重視しなければならない、と結論される。
4)側方運動の運動学的態様
側方運動は3次元空間内の下顎運動で、咬頭嵌合位から上下顎歯を接触滑走させながら、非作業側顆頭が前下内方に移動し、作業側顆頭が下顎窩内でボールベアリングのように回転しながらわずかに外側方へ移動することによって発現する運動である。このとき下顎全体は、作業側顆頭上の運動学的中心(クロスポイント)を回転中心として、側方旋回様の回転を行ないながら、わずかに平均約1mm作業側に平行移動する(保母 1982)。保母、高山(1995)によると、側方運動は作業側顆頭上の運動学的中心を通り、垂直軸に対し矢状側方顆路傾斜度だけ前傾した回転軸の回りの側方旋回と上記の平行移動および顆頭間軸の回りの平均0.72度の蝶番回転により構成されている。
5)側方顆路の3次元的表現
顆路は、偏心運動中の顆頭中心の3次元運動軌跡である。顆路の計測結果を表示したり解析するには、上顎に固定した3次元座標系を基準とした矢状面、水平面、前頭面への投影が用いられる。基準座標系の前後軸をX軸(前を正)、左右軸をY軸(右を正)、上下軸をZ軸(下を正)にとったとき、X-Y面は水平面、Y-Z面は前頭面、Z-X面は矢状面になる。顆路を3次元表示するのに3つの平面の投影図形は必要なく、いずれか2つの投影図形だけでX、Y、Zの3成分すべてを網羅することができる。
上記のように基準座標系を設定すると、顆路を直線で近似したときの顆路長、矢状顆路傾斜度、ベネット角などにより顆路の前後成分、上下成分および側方成分を三角関数を用いた数式で表すことができる。また側方運動においては、顆路が3次元的なためその実長や実角も同様に三角関数を用いた数式で表すことができる。非作業側の矢状側方顆路を直線で近似したときの矢状側方顆路長をΛL、矢状側方顆路傾斜度をαL、水平側方顆路角(ベネット角)をβLとしたとき、側方顆路の前後成分はΛL×cosαL、上下成分はΛL×sinαL、側方成分はΛL×cosαL×tanβLである。アルコン型咬合器のベネット角調節機構は普通フォッサ・ボックスとともに回転するためそのベネット角は実角に調節されるから、水平面上で定義されたベネット角の値を用いるときには、(厳密には)補正式を用いて調節値を矢状側方顆路傾斜度ごとに補正しなければならない。ベネット角の実角は、arctan(tanαL×cosβL)である。
保母ら(1984)は、水平側方顆路におけるベネット角(βL)、イミディエイト・サイドシフト(σS)およびプログレッシブ・サイドシフト(σP)の3者間になり立つ定義式βL=arctan((σS+5×tanσP)/5)に基づき、それぞれの測定値の間の相関係数を用いてIPB法を紹介した。