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ベネット運動

【読み】
べねっとうんどう
【英語】
Bennett’s movement
【辞典・辞典種類】
新編咬合学事典
【詳細】
下顎の側方運動中にみられる、作業側顆頭の回転をともなうの外側方移動。その運動経路を作業側顆路と呼んでいる。イギリスの補綴学者Bennett(1907)の名に由来して命名されたが、この運動の存在はそれ以前にWalker(1896)やUlrich(1896)によって報告されているため、Bennettは名前を冠されるような貢献をしていないという考えもある。この用語はGPT-6で不適切用語となり、ラテロトゥルージョンlaterotrusionと呼称変更され、水平面内における作業側顆頭の運動、この用語は他の平面内における(作業側)の顆頭の運動と組み合わせて用いることができる、と定義されている。
従来、作業側顆頭の外側方移動はベネット運動と呼ばれ、下顎全体の側方移動(サイドシフト)や非作業側顆頭の内側移動と区別して用いられてきた。しかしベネット運動とサイドシフトを、“側方運動時の下顎全体の作業側への平行移動translation”によって、それぞれ作業側顆頭に生じる外側方への移動、および非作業側顆頭に生じる内側方への移動、として一体的にとらえる見方が定着するにつれて、これら2つの用語は不適切用語となり、新たにまとめてマンディブラ・トランスレイションmandibular translation(略称“m.t.”)と呼ぶようになった。そのうえでGPT-6では、ベネット運動の代わりに作業側顆頭の外側方移動をラテロトゥルージョンと呼ぶようになったが、さらに作業側顆頭が上下、前後に偏位する場合を細分化し、外側上方移動をラテロサートゥルージョンlaterosurtrusion、外側下方移動をラテロディトゥルージョンlaterodetrusion、外側前方移動をラテロプロトゥルージョンlateroprotrusion、外側後方移動をラテロリトゥルージョンlateroretrusionと呼ぶように指定している。すべての用語にlatero-が冠されたのは、全部の場合に外側方成分が含まれるからである。なお、ラテロトゥルージョンの名前はまだなじみが薄いので、以下旧用語のベネット運動を用いて説明する。
【一般的知見】
ベネット運動は非常に個人差の多い運動で、その方向、経路、発生する時期は個人によって異なる。ベネット運動は、平均的にはトランスバース・ホリゾンタルアキシスに沿った作業側顆頭の外側方への移動と考えられているが、個々の症例では矢状面内で複雑な経路をとる。Aull(1965)は、ベネット運動の方向とその発生率につき、上前側方26%、下前側方20%、外側方16%、上側方12%、前側方11%、下側方が10%で、それら86%において、不規則な経路をたどったと報告している。Guichet(1970)は、ベネット運動の経路のほとんどが頂点内角60度、高さ3mmの円錘体内に含まれると説明している。真柳(1970)は運動距離は平均0.68mm、方向は水平面投影で後方へ平均0.5度、前頭面投影で下方へ平均15.4度、彎曲は平均0.09mmであったと述べている。発生するタイミングも、側方運動と同時に発生する場合、側方運動の全過程にわたって発生する場合、側方運動の終末に発生する場合など種々の形式がみられる。真柳(1970)は、ベネット運動における作業側顆頭の運動様相を回転型と滑走型に大別している。築山ら(1993)は、6自由度の電子的下顎運動計測装置を用いて、顎口腔系に異常のない健常有歯顎者40名80顆頭のベネット運動の計測と解析を行なっている。その結果、作業側において犬歯のみ、もしくは犬歯および小臼歯で誘導する犬歯誘導では41.8%が回転型のベネット運動様相を示し、大臼歯が誘導に加わるグループ・ファンクションでは76.5%が滑走型のベネット運動様相を示した、と述べている。
ベネット運動の原因については、これまで多くの報告があり、次にそれらを列記する。
1)側方運動の水平回転軸が垂直方向のヒンジアキシスよりも後方にあるために発生する(Sicher 1948、Posselt 1962)。
2)顎関節の内側壁の形状とその斜面の状態、および下顎頭の形状によって発生する(Granger 1954、Lucia 1961)。
3)下顎の後方運動を制限する外側靭帯の拘束活動によって発生する(Sicher 1965)。
4)側頭筋と外側翼突筋のずれによって発生する(Sicher 1965)。
一方、Landa(1958)らのように、ベネット運動の存在そのものを否定し、この運動は作業側顆頭の単純な回転の一部にすぎないと説明する者もあるが、その主張はほとんど支持されていない。
ベネット運動はヒトが食物を圧砕、剪断する作業側に現われる強力な運動で、咬合面形態にもっとも大きな影響を与えるとして重視されてきた(Huffman、Regenos 1980)。ちなみに、下顎運動の要素のなかで、矢状、水平、前頭の3面に影響するのはベネット運動だけである。ナソロジーではベネット運動が上側方へ向かうときは咬頭傾斜を緩やかにして、咬頭を低くつくらなければならないが、下側方へ向かうときは咬頭傾斜を急にして咬頭を高くつくることができる。また、前側方へ向かうときは作業側の上顎臼歯の咬頭を近心へ、また下顎臼歯の咬頭を遠心へ寄せなければならない。後方へ向かうときは作業側の上顎臼歯の咬頭を遠心へ、また下顎臼歯の咬頭を近心へ寄せなければならないと教えてきた。
ベネット運動を咬合器上に再現する方法は、従来からいろいろ考えられてきた。1859年に開発されたウォーカー咬合器は、側方運動時に作業側の顆頭球が後上方へ動くような構造をもっている。1909年に開発されたGysiのウィッププンクト咬合器では、作業側の顆頭球の動きを再現するためにウィッププンクト中心釘をもうけ、これにより作業側の顆路を平均的に規制している。トゥルーバイト咬合器(1927年)では、軸学説で存在しうるかなり広範囲なベネット運動の再現ができるような関節機構が与えられている。しかし、ベネット運動の再現に科学性をもたせたのはMcCollumである。1929年にMcCollumは下顎運動を精密に測定する口外描記装置(パントグラフ)、ナソグラフを開発した。これにより、作業側顆路が描記板上にラインとして描かれるようになった。McCollumは1934年、Stuartの助けを借り、非作業側顆路の再現機構を咬合器の中央部に移動させて作業側顆路の再現機構から切り離した、2軸性機構をもつ全調節性咬合器ナソスコープを完成した。この咬合器の誕生により、ベネット運動を症例ごとに精密に再現することが可能となった。この咬合器では、さきに決定した顆路指導要素が、もう一方の顆路指導要素に影響を及ぼすという、調節性咬合器の最大の欠点が除かれている。以来ベネット運動を正確に再現できることが全調節性咬合器の要件のひとつになった。
【最新の知見】
ベネット運動については外方へ真横に向かうものの他、矢状面内でさまざまな経路をとるものがあることは上述した。側方運動の主体は側方旋回だから、その回転の中心となる作業側顆頭の挙動はぜひとも解明されなければならない。さもないと回転の弧に相当する咬頭の運動路が不明確となり、補綴物の精度を低下させることになる。そのような観点からベネット運動の態様を電子的計測を用いた広範な実験的解析により明らかにし、下顎の側方運動の運動学的構成を解明することが試みられている。
中心位における顆頭間軸(トランスバース・ホリゾンタルアキシス)と、側方運動が終了した時点における顆頭間軸が交わる点をクロスポイントと名づけ、その挙動を2次元的に図上解析した。クロスポイントに終了する運動軌跡の出発点は、側方運動の開始時にはトランスバース・ホリゾンタルアキシス上に存在しているので、側方運動の終了時にこの点がトランスバース・ホリゾンタルアキシスと交差するということは側方運動中にこの点が外側方に向かってトランスバース・ホリゾンタルアキシス上をクロスポイントまで、真横へ移動したことを示唆している。この点を運動学的顆頭中心と定義すれば、理論的にはベネット運動はトランスバース・ホリゾンタルアキシス上を真横へ向かう単純な運動ということになる(保母、高山 1984)。
この解析結果を実証するために、3次元6自由度の計測が可能な電子的下顎運動計測装置を用い、50名の被験者の側方運動を上下顎歯の非接触条件下で計測した。この装置は顔の外側で測定した3次元6自由度のデータからコンピュータの演算により、下顎上の任意の点の動きを算出する能力を有している。この装置を使って50名の被験者のデータを収集し、その平均値を処理して顆頭間軸上の各点の平均軌跡を求めた。
同じデータを用い側方運動時の顆頭間軸の挙動を調べた。その結果、側方運動中に運動学的顆頭中心のあたりで顆頭間軸の運動領域に集束点を生じることがわかった。運動範囲はそれぞれ左または右の運動学的顆頭中心付近で集束し、運動学的顆頭中心からサイドシフト量(約1mm)だけ外側寄りの点でもっとも細くなる。くびれは上下に0.3mm、前後に0.1mmの太さをもち、作業側顆頭のぶれの大きさを反映していると考えられるが、実際の作業側顆頭のぶれはもっと大きくなる。ちなみに作業側の運動学的顆頭中心の外側方への移動量(ベネット運動量)は非作業側におけるサイドシフト量と等しい(保母ら 1995)。
全運動軸が矢状面内において運動学的回転軸の位置を定義するものであるのに対し、運動学的顆頭中心は、水平面内および前頭面内において定義されるものである。そして全運動軸が開閉、前方および側方運動を通じて生じる蝶番回転運動における回転軸、すなわち蝶番回転軸を定義するものであるのに対し、運動学的顆頭中心は側方運動における側方旋回運動の回転中心、すなわち側方旋回軸を全運動軸上に定義するものであるということができる。
水平基準軸上で正中より左右に55mmの位置を標点とし、非作業側顆頭が約3mm移動したときの非作業側と作業側の顆頭の3次元的移動量の平均値を算出した結果である。非作業側の標点が前下内方へ、作業側の標点が後外上方へ移動している状態が描かれている。作業側方向への移動成分は非作業側で0.77mm、作業側で0.73mmであった。標点間距離を110mmとし、非作業側の標点が作業側の標点を中心として円弧を描きながら3mm移動するときの状況を示している。このとき非作業側の標点の内側移動量は0.04mmと算出される。この回転による内側移動成分を、上記非作業側標点の作業側方向への移動成分(0.77mm)から差し引くと0.73mmとなり、作業側標点の外側方向移動成分とぴったり一致する。この0.73mmが、この場合の下顎の外側方への平行移動量(サイドシフト量またはベネット運動量)である。これは作業側顆頭の外側への移動量と非作業側の顆頭の内側への移動量が互いに等しいことを改めて示すとともに、水平側方顆路角(ベネット角)の主成因についての円弧による従来の説明を、下顎の平行移動による説明におき変えるべきことを裏づける実験的事実である。
以上から矢状面内における全運動軸(開閉および前方運動)に対応する、3次元的な運動学的回転中心(側方運動)が定義された。側方運動中に作業側の運動学的顆頭中心の移動(ベネット運動)は平均的にはトランスバース・ホリゾンタルアキシス上を真横に向かう。顆頭間軸(蝶番回転軸)の運動領域は運動学的顆頭中心の近傍でくびれを生じる。そして作業側の顆頭の外側への移動量(ベネット運動量)と非作業側の顆頭の内側への移動量(サイドシフト量)は互いに等しく、後者がベネット角の成因である。
保母ら(1989)は、作業側顆路がトランスバース・ホリゾンタルアキシス上を、外側方に向かう場合を想定して算出した仮想側方切歯路をニュートラル・ラインと名づけた。計測された切歯点の運動経路をニュートラル・ラインと比較したとき、前者が後者の上方に位置する場合は計測された作業側顆路が斜め上方に向かい、逆に前者が後者の下方に位置する場合は作業側顆路が斜め下方に向かって偏位する。前後方向についても同様の傾向が認められた。このことはベネット運動の矢状面内偏位が犬歯誘導路(側方切歯路)によって影響されることを示唆している。この点を調べるため、レジン製口腔内ガイドテーブルとガイドピンにより、人工的な前歯誘導を付与したところ、術前には矢状面内で前方、後方、上方、下方に向かっていた作業側顆路のぶれが平均約4分の1に減少した(保母、高山 1997)。これはベネット運動が作業側顆路の矢状面内のぶれで、犬歯誘導などの歯のガイドにより制御されることを示唆している。
歯の運動路をガイドするのは硬組織からなる上下顎前歯であり、一方顆路をガイドするのは軟組織の関節円板を介在させた顆頭と下顎窩の運動路である。したがって、歯の運動路と顆路とどちらがぶれがたいかということになれば、前者のほうに軍配をあげるのが自然であろう。これは顆路が原因で歯の運動路を偏位させているというよりも、歯の運動路が原因で顆路を偏位させていると考えたほうが自然であることを意味している。この面からも犬歯誘導路(側方切歯路)がニュートラル・ラインから外れたことが“原因”で、作業側顆路がトランスバース・ホリゾンタルアキシスから偏位することが“結果”といえるだろう。下顎三角の代わりに前歯誘導面内に下顎をガイドするミニ三角が存在するとし、偏心運動中に接触滑走する前歯部に三角の接触点があるとすれば、臼歯は偏心運動中に離開するため、前歯部の三角の各頂点の運動路によって下顎運動が制御される可能性がある。その結果として顆路も影響されるのではなかろうか。こう考えると、従来考えられてきたように、咬合面に与える影響が大きいという意味で、ベネット運動を重視する知見には疑問が残るといわざるをえない。
→クロスポイント、作業側顆路