ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョン
- 【読み】
- みゅーちゅありー・ぷろてくてっど・おくるーじょん
- 【英語】
- Mutually protected occlusion
- 【辞典・辞典種類】
- 新編咬合学事典
- 【詳細】
- Stallardによって提唱された天然歯の理想咬合のひとつ。咬頭嵌合位では臼歯が前歯を保護し、前方運動では切歯が犬歯と臼歯を保護し、さらに側方運動では犬歯が切歯と臼歯を保護するため、この名称がある。GPT-6では、咬頭嵌合位では臼歯が前歯を過剰接触から保護し、あらゆる偏心運動では前歯が臼歯を離開させる咬合様式と定義され、呼称がミューチュアリー・プロテクテッド・アーティキュレイションmutually protected occlusionと呼び変えられている。理想的な咬合状態をもつ天然歯列にみられ、バランスド・オクルージョンに代わる理想咬合として今日広く用いられている。
【バランスド・オクルージョンの衰退】
バランスド・オクルージョンは理想咬合のなかでもっとも古く前世紀に発案された咬合様式で、下顎の偏心運動中にすべての歯を同時に接触滑走させることにより、咀嚼中に発生する水平咬合圧(側方圧)を各歯と顎関節に均一に分散させることを目的としている。その結果、側方圧は歯と顎関節とが生理的に分担できる範囲内まで軽減されると考えられた(Granger 1962)。この咬合様式は、古典的下顎運動理論を基盤とし、はじめは総義歯のための咬合として考案されたが、年月の経過とともに、無歯顎、有歯顎を問わず広い意味の理想咬合となり、今世紀のはじめにはこれが既成概念となった。そのためMcCollumもオーラル・リハビリテイションの理想咬合としてバランスド・オクルージョンを採用した。
1940年代後半になって、StallardとStuartはバランスド・オクルージョンを与えた症例の大半が失敗に終わったことを知り、このような咬合が果たして理想咬合といえるか疑問を抱くようになった。Stuartら(1963)はバランスド・オクルージョンを次のように批判している。“可能な限り多数の歯を下顎運動の全過程において接触させようという考え方は不合理である。たった2本の切歯が薄い繊維性の食物を切断しようとするときに、残りの歯を全部接触させようとするのはばかげている。そして片方の歯列で小さな食物の塊を噛むときに、わざわざ非作業側の全歯を接触させるということもまことにぎごちないことである。”バランスド・オクルージョンに対する批判点としては、上下顎歯の接触により過度の咬耗が引き起こされること、また正常な歯周組織を有する天然歯列に完全なバランスド・オクルージョンを発見できないこと、などがあげられる。稀にみられる天然歯のバランスド・オクルージョンは、咬耗の所産であることが多い。このような理由のためバランスド・オクルージョンは単なる想像上の理想咬合に過ぎないと考えられるようになった。今日では、バランスド・オクルージョンは総義歯のための咬合と考えられ、適応症が限定されている。
【犬歯誘導の提唱】
D’Amico(1958)は、原始人やプレホワイト・インディアンの頭蓋骨について広範な人類学的調査を行なった。彼らの歯列には極端な咬耗と切端咬合がみられるのに対し、大きな犬歯をもつ類人猿では偏心運動中に上下顎の臼歯が離開するため、臼歯の咬頭は健常な状態に維持されている。以上から咬耗による咬合の破壊を予防するために自然の与えた適応形態が、犬歯誘導咬合(カスピッド・ライズ)と臼歯離開であるという学説を提唱した。霊長類の上顎の犬歯は、常に下顎の犬歯と第1小臼歯に交合している。犬歯のもっとも重要な機能は、下顎を咬頭嵌合位へ導き、その間に犬歯以外の歯が接触するのを防止することにある。このような犬歯の誘導作用により、不要な臼歯の接触がなくなり、咬耗は防止される。したがって、犬歯は咬耗に対する安全保障機能をもっていると考えられる。
D’Amicoの提唱したカスピッド・ライズでは、あらゆる偏心運動を犬歯のみによって誘導させている。そのため類人猿にならい、前方運動と側方運動の区別なく、すべての偏心運動中に上顎犬歯に下顎を誘導させることになる。しかしヒトでは、犬歯が下顎の前方運動を誘導するのは稀であり、その誘導作用は側方運動中にのみ認められるのが普通である。そのため今日ではカスピッド・ライズは理想咬合とは認められなくなり、その考え方を契機としてミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンが提唱され、犬歯誘導はその一要件となった。
なお、犬歯誘導は、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの中核をなすコンセプトであるため、今日では犬歯誘導という表現によりミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンを意味する場合が多い。
【ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの誕生】
Stallardは、65~70歳という高齢にもかかわらず、ほとんど咬耗のない歯列をもつヒトが散見され、そういう理想的な咬合をもつヒトの口腔内を診査したところ、偏心運動中に臼歯部歯列は接触せず離開し、逆に咬頭嵌合位では前歯が接触せず臼歯部歯列だけで垂直方向への咬合力を負担していることを知った。これは偏心運動中には前歯が臼歯を保護し、咬頭嵌合位では臼歯が前歯を保護するという相互関係をもっていることを示唆している。Stallardは咀嚼機能を効果的に営むために、咬合面のうちもっとも重要な部位は隆線であると考えた。隆線には大きな食物の塊を切り裂いたり、食物が接触点の間に入りこむのを防ぐ役割りがある。そのためクラウンの隆線を鋭くつくれば、老人でも青年と同じような優れた咀嚼機能を発揮できる。このように重要な働きをもつ隆線を保護するためには、バランスド・オクルージョンのように対合歯との絶え間ない接触によって咬合面の咬耗を招く咬合は好ましくない。もちろん咀嚼運動は多かれ少なかれ咬合面を損傷するが、上下顎歯がよく適合し、適切な食物が摂取され、しかも歯ぎしりのような悪習癖によって歯が咬耗するようなことがなければ、咀嚼運動そのものによって隆線が損傷される度合いはごく軽微なものとなるはずである。咀嚼効率を高めるということは、隆線を鋭くすることに他ならないから、その機能を持続するためには、付与した隆線が咬耗しないように注意しなければならない。そのような見地から、側方運動中に臼歯を離開させるような咬合を確立する必要があるとして、1949年、Stallardはミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの咬合様式を提唱した(Thomas 1988)。ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンでは、前方運動がはじまると上顎4切歯が下顎前歯の切端をガイドし、それより遠心に植立する歯は接触しない。側方運動中には、作業側の上顎犬歯の口蓋面が、下顎犬歯の遠心切端と第1小臼歯の頬側咬頭の近心斜面をガイドし、それ以外の歯を一切接触させない。
Lucia(1961)はミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの利点として次の事項をあげている。1)バランスド・オクルージョンのように咬頭が鼓形歯間空隙に噛みこまないため、歯の離開や挺出がない。2)中心位において歯列が安定した咬頭嵌合位をとるため、そのときに発生する咬合圧は歯の長軸方向に向けられる。3)前歯が臼歯と同時に接触滑走しないため、よりよい剪断が可能である。4)歯ぎしりをする傾向が少ない。5)歯の接触が最小なため咬耗が少ない。6)咬頭頂が対合歯と接触しないので咬耗が少ない。7)犬歯のもつ重要性が正しく意義づけられている。8)辺縁隆線、横走隆線および斜走隆線が鋏で切るような作用(剪断作用)をして咀嚼効率を高めるため、咀嚼運動中の咬合力が小さくてすむ。9)この咬合様式を用いた場合は、同一口腔内で1つの補綴物をリマウントしたあとで他の補綴物をつくることができる。バランスド・オクルージョンではこのような操作は不可能である。10)バランスド・オクルージョンよりも審美的である。
ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンについてはさまざまな事項が議論されてきた。
1)犬歯1歯だけに側方運動時の咬合圧を負担させることに対する疑問
D’Amicoは犬歯誘導咬合の解剖的根拠として、犬歯が非常に緻密な歯槽骨壁によって囲まれ、わずかな刺激にも敏感で、しかもその歯根が歯槽骨に深く植立しているため歯冠歯根比率が良好であり、また顎関節から離れた位置にあって強い力を受けにくい、などをあげている。Guichet(1970)は、犬歯が側方ストレスに抵抗する有効性を、力のベクトル関係、歯冠歯根比率、歯根長および支持骨の性状から説明し、第2大臼歯と比較した場合、犬歯が約8倍優位であると述べている。
歯は約5gの感圧能力を有するが、その閾値は臼歯より前歯のほうが高い(Lowenstein 1955)。河村ら(1967)は、被験者31名の各歯ごとに20gの負荷をかけて、負荷がかかっていると感じる歯を被験者が正しくさし示せる率により歯種ごとの感圧能力を調べた。その結果、中切歯から第2大臼歯まで後方(遠心)にゆくほど的中率が小さくなり、歯種ごとの感圧能力が低下することがわかった。さらに的中率と歯根表面積の間で相関検定を行ない、その結果を分析して河村らは、歯の感圧能力は歯根表面積ならびに歯の歯根膜内の固有受容体の分布と感度の両方に依存すると結論している。河村らの知見は、犬歯誘導やミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの咬合様式が、感圧能力の高い前歯にガイド機能をゆだねるという点で、バランスド・オクルージョンに比べ生物学的合目的的性に優れていることを示唆している。
Slavicekら(1982、84)は、咬合様式と筋活動の関係について、犬歯誘導が筋活動を低下させるのに対し、グループ・ファンクションは筋活動を高めると述べ、犬歯誘導を重視している。各歯種の誘導路長は、中切歯、側切歯、犬歯、第1小臼歯、第2小臼歯、第1大臼歯および第2大臼歯の順に、それぞれ平均4.0mm、3.6mm、4.5mm、2.5mm、2.6mm、2.7mmおよび2.6mmで、犬歯の誘導路長がもっとも長い。
小林ら(志賀ら 1987、88、小林 1991)は、咀嚼運動自動分析装置を用い、側方運動中の咬合様式が明らかに犬歯誘導である被験者群と、同様にグループ・ファンクションである被験者群を比較し、咀嚼経路(チューイング・サイクル)、咀嚼リズム、筋活動のいずれの観点からも犬歯誘導群のほうがグループ・ファンクション群よりも安定していると結論している。以上から犬歯1歯だけに側方運動時の咬合圧を負担させることにとくに問題はないと考えられている。
2)禁忌症に対する対策
ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンはチューイング・サイクルが垂直的なときに適し、チューイング・サイクルが水平的な症例は、禁忌とされている。また犬歯が欠損したり位置異常のために下顎運動をガイドする機能を喪失している場合にもこの咬合を付与するのは難しい。犬歯が欠損し、ブリッジ(局部義歯)によって補綴されている場合も同じことがいえる。Dawson(1974)は犬歯を下顎運動のガイドとして使用できない場合は、作業側の前歯すべてによって側方運動をガイドさせ、臼歯離開咬合を付与するのがよいとして、アンテリア・グループ・ファンクションを提唱した。そして前歯を下顎運動のガイドとして使用できない場合には作業側の全歯で側方運動をガイドさせ、Schuylerらの推奨しているグループ・ファンクションド・オクルージョンを与えることをすすめた。Lucia(1987)はオッセオインテグレーテッド・インプラントの開発は、犬歯欠損症例に新しい犬歯を誕生させる可能性を生み、これによりミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの適応範囲が拡がったと述べている。
3)臼歯離開量の程度が定量的に示されていない問題
臼歯離開の必要性は広く認められるようになったが、その適量はどのくらいで、それを付与するにはどうしたらよいかについては明確な指針は示されていない。Thomas(1967)はカスプ・フォッサ・ワクシングで側方運動中に各咬頭頂が咬頭対咬頭の位置関係をとるとき、上下顎咬頭頂は約1mm離開しなければならないとしているが、隆線と隆線、あるいは隆線と溝の離開の程度については述べていない。Scott、Baum(1964)およびSchooshan(1960)は、偏心運動中の非作業側上下顎後方臼歯間に少なくとも0.5mmの離開が必要であると述べている。またStuartは咀嚼能率の向上を重視する立場から、偏心運動中には咬頭干渉を回避するために必要な最小限の離開をさせればよい、と述べるにとどまっている。
ちなみに最近、日本人成人男子の臼歯離開量が計測され、その結果に基づいて設定された顆路長3mmにおける臼歯離開量の標準値は前方運動で約1.0mm、側方運動の非作業側で約1.0mm、作業側で約0.5mmである(保母、高山 1993、93、93)。この結果に基づき、保母ら(1995)は標準的な臼歯離開を付与するための新臨床術式ツインステージ法を開発している。
【グループ・ファンクションの変遷】
ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンとほぼ時を同じくして、Schuyler(1959、61、63)は、犬歯1歯だけに全側方圧を負担させるよりも作業側の全歯に側方圧を負担させるほうがよいのではないかと述べグループ・ファンクションド・オクルージョンを提唱した。Schuylerは、側方運動中に非作業側に現われる上顎臼歯の舌側咬頭と下顎臼歯の頬側咬頭との接触滑走(クロス・アーチ・バランス)は、歯周組織の外傷や顎関節の機能障害を誘発する原因になるので有歯顎には絶対に与えるべきではないとするとともに、作業側に現われる舌側咬頭どうしの接触滑走(クロス・トゥース・バランス)も為害性があり、望ましくないと述べている。以上のような考え方に基づきSchuylerは、側方運動中に作業側の全歯の頬側咬頭を接触させる一方で、作業側の舌側咬頭と非作業側の咬合接触を取り除き、臼歯を離開させるグループ・ファンクションド・オクルージョンを提唱した。この咬合はバランスド・オクルージョンからクロス・アーチ・バランス(非作業側の咬合接触)とクロス・トゥース・バランス(作業側の舌側咬頭どうしの咬合接触)を取り除いた咬合様式でユニラテラル・バランスとも呼ばれた。
Schuylerの提唱したグループ・ファンクションド・オクルージョンは、犬歯を含む作業側の全歯に咬合力を分散させることを意図したもので、天然歯列にもっとも広く存在する咬合様式であるとされてきた。しかし最近の研究により、天然歯列において上記定義通りのグループ・ファンクションド・オクルージョンの発生率は8%にすぎないことが判明した(保母、高山 1993)。
最近グループ・ファンクションド・オクルージョンの定義が、側方運動中に作業側の(犬歯を含む)上下顎2歯以上が同時接触する関係にあり、それらの歯がグループとして咬合力を分散させる咬合様式、と変更された(GPT-5 1987)。そして用語もグループ・ファンクションに変更された。この定義によると作業側の歯の大半は臼歯離開してもさしつかえないということになる。一方非作業側のクロス・アーチ・バランスを禁忌とするSchuylerの指摘は現在でも有効である。したがって新しいグループ・ファンクションの定義は、作業側臼歯が接触滑走する状態というよりは、側方運動中に作業側の歯がわずかに接触するだけでほとんどの歯が離開する状態となり、ミューチュアリー・プロテクテッド・オクルージョンの定義に近づいたことになる。
→理想咬合、ツインステージ法