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2026年11月号掲載

―福島県における大規模疫学調査の成果と意義―

【特別企画】乳歯8,000本から探る内部被ばくの実態

※本記事は、「新聞クイント 2026年11月号」より抜粋して掲載。

 2011年3月に発生した東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所事故後、福島県歯科医師会は全国から乳歯8,000本以上を収集し、大学と連携して放射性物質における内部被ばくの実態を検証してきました。

 本欄では、2026年7月にその収集調査を終えるにあたり、福島県歯科医師会会長の海野 仁氏(福島県開業)に、大規模疫学調査の成果とその社会的意義についてうかがいました。 (編集部)

乳歯を用いた歯科の社会貢献
内部被ばく状況の科学的立証へ

――今回発表された研究事業はどのような目的でスタートされたのでしょうか。そのきっかけと乳歯に着目した経緯について教えてください。

海野:2011年3月の福島第一原子力発電所事故により、大量の放射性物質が環境中に放出されました。その放射性物質が健康にどのような影響をもたらすのかについて明らかにすることは、重要な社会的責務です。しかし、個人の内部被ばく(放射性物質を体内に取り込むこと)状況を科学的な数値として示す手段には限界がありました。なぜなら、従来の飲食物の摂取量や行動調査による疫学的推定は誤差が
大きく、主にセシウムやカリウムなどのγ線を放出する放射性物質の量を検出するホールボディカウンターは、β線放出核種の測定に対応できないという課題があったからです。
 一方、われわれが日常の臨床現場で取り扱っている歯は、形成期に取り込んだ放射性物質が代謝されることなく蓄積します(図1)。そのため、乳歯を用いることで胎生後期から12歳頃までという放射線感受性がもっとも高い成長期の被ばく状況を、個体単位の実測値として確認することができるのです。
 そのようなことから本研究は、自然脱落する乳歯を全国から収集し、事故の前後で放射線量に変化があるかについて大規模に調査したものです。

全国から8,000本超
乳歯収集と倫理的配慮

――8,000本を超える乳歯の大規模な収集を長期間続けるうえで、ご苦労された点や保護者の方々の理解を得るために工夫された点についてお聞かせください。

海野:福島県歯科医師会を中心に、全国の歯科医師会や奥羽大学の協力のもと、福島県内各地および北海道、宮城県、新潟県、東京都、静岡県、熊本県、沖縄県の全国から乳歯を収集し、東北大学歯学研究科の災害・環境歯学研究センターで管理・保管してきました。収集にあたっては、書面によるインフォームドコンセントを取得し、福島県歯科医師会、奥羽大学、東北大学研究倫理専門委員会の事前審議・承認を経て実施されています。ややもすれば、巨大な実験場と化す恐れがありましたので、個人情報は匿名化するなど厳重に管理され、提供者本人には測定結果と説明文書が郵送されています。収集した乳歯の数は8,000本を超え、2013年1月から2026年3月まで継続されました(図2)。
 さる5月29日(金)に開催された日本歯科医師会の第142回都道府県会長会議の終了後にご報告させていただきましたが、今回の研究に長年にわたりご協力いただいた歯科医師会の会員の先生方をはじめ、東北大学、奥羽大学など関係者の皆様にこの場をお借りして感謝したいと思います。

内部被ばくは確認されず
風評被害、社会不安の解消へ

――内部被ばくへの過剰な不安や誤った情報による風評被害を払拭するためにも、その有無が気になるところです。

海野:本研究では、多数の乳歯を効率的に測定するため、β線への感受性が高いイメージングプレート(IP)が採用され、歯質中の放射性物質から得られる蛍光信号が「QL 値※ 1」として数値化されました。
 福島県内の県北・県中・いわきの3地方と、北海道、宮城県、新潟県、東京都、静岡県、熊本県、沖縄県の県外の乳歯について、事故前後で比較したところ、いずれの地域でも事故前後のQL 値に有意な差は認められませんでした(図3)。また、空間線量率や事故時年齢、性差との相関も確認されませんでした。
 この結果は、心配されていたような内部被ばくが小児に生じていなかった可能性を示す重要な科学的根拠となりました。同時期に採取された野生動物(アカネズミ、ニホンザル、アライグマなど)の歯では、放射性物質の増加がはっきり確認されていましたので、対照群としてヒトでの「増加なし」とい
う結果は、信頼性を裏づけることができています。こうした知見は、風評被害や過度な不安を軽減し、行政の政策判断を支える基礎資料となり得ます。そして何より、県民の小児はもとより保護者の方々へ安心材料を届けることができ、安堵しています。

地域に根ざした災害医療・リスク管理体制の構築へ

――今回の研究成果は、今後の社会や行政、次世代の防災・保健政策に活かすことが求められますね。

海野:本研究の最大の成果は、原発事故後に形成された福島県在住小児の乳歯において、内部被ばくの増加を示す兆候が認められなかったことです。これは、歯が形成される胎生期から12歳頃までという放射線感受性のもっとも高い時期に、危惧されたような内部被ばくがなかった可能性を示す科学的根拠となります。
 そしてこの成果は、社会不安の解消や環境保健行政への貢献にとどまらず、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)やICRP(国際放射線防護委員会)などの国際的な報告の基礎資料、福島県民健康調査の内部被ばく・甲状腺検査結果を補完する研究成果としても、位置づけることができると思います。また、地域に根ざした災害リスク管理の基礎資料としての活用も期待できるでしょう。
 そして、科学的根拠に基づく社会的な不安の解消、行政施策・国際的評価への貢献、そして地域住民との信頼に基づく災害医療体制の構築という複数の面で、大きな社会的意義をもつ研究であると確信しています。
 最後に、地域住民の口腔の健康を支えている歯科医師会の先生方が中心となり、従来の手法では得られなかった小児の内部被ばくに関する実測データとして、乳歯という身近な生体試料を提供できたことは、たいへん意味がありますし、少しでも貢献できたと思っています。

――本日はありがとうございました。

参考文献
1. Takahashi A,Chiba M,Tanahara A,Aida J,Shimizu Y,Suzuki T,Murakami S,Koarai K,Ono T,Oka T,Ikeyama J,Kaneko O,Unno M,Hirose K,Ohno T,Kino Y,Sekine T,Osaka K,Sasaki K,Shinoda H.Radioactivity and radionuclides in deciduous teeth formed before the Fukushima-Daiichi Nuclear Power Plant accident.Sci Rep.2021 May 14;11(1):10335.
※ 1  QL 値(quantum level)とは、IP に記録された放射線のエネルギーをデジタル化した「画像の明るさ」で、その数値が大きければ大きいほど試料中にある放射性物質の量が多い、あるいは、エネルギー量が大きいことを示す。

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